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九州

2024年10月25日 (金)

長崎雲仙・佐賀周遊旅行4日目(4)旅の最後は長崎空港レストラン・エアポートでビールと長崎名物トルコライス。

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ガソリンスタンドで給油後にレンタカーの営業所にチェックイン。

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バジェットレンタカーは長崎駅で借りて、長崎空港で返却しても県内だから乗り捨て料金なし。

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送迎車で長崎空港まで送ってもらう。

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海上空港なので、大村湾を渡る。

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長崎空港に到着。

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空港カウンターでチェックイン。

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そして、今回の旅行は荷物をミニマムにして3泊分の着替えなどの荷物とおみやげを買ってもピーチの規定である重量7キロで収められるかの実験の旅。いよいよ、計量にチャレンジ。

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結果は4.55kg。カステラとか、ザボン漬けとか、けっこう買っているけど、余裕じゃん。まだ2キロ以上も詰め込める。空港で2キロまでのお土産を追加しても、十分にいける。実は7キロって必要十分な重さで、3泊4日分の荷物でもけっこう積めるんじゃないかなぁ。今回の旅行は3泊4日の旅をキャビンゼロ36リットルの軽量バックだけで過ごす実験的な旅行だったんだけど、結果は大成功。LCCで車輪のついたキャリーバックで旅をする人は私には信じられない。だって、キャリーバックは自重だけでも2キロ以上の重さ。そう考えると、成功の秘訣はキャビンゼロの自重700グラムの軽量バック!

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おみやげ店やレストランは2階にあがる。

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あと2キロはおみやげを増やせるけど、欲しいものがなければ無理に買う必要はない。

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ドライブを終えたので、ビールを飲もう。長崎空港で最後にちゃんぽん?この時は1階にある「牡丹」というお店が新型コロナウイルス感染症の影響で2階のレストラン・エアポートで提供されていたんだけど、現在はエアポートが閉店して、牡丹がこの場所にある。

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レストラン・エアポートに入り、もう運転しないのでビールを飲む。ちなみにレストラン・エアポート

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最後の食事は、長崎名物トルコライス。ワンプレートにピラフ、とんかつ、スパゲティが盛られている。

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とんかつにはデミグラスソースがかけられている。

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ビールのおつまみとしてとんかつを食べ進めると、サフランライスが出てくる。トルコライスも空港ではないところで食べあるてみたら面白いかも。そう考えると、長崎って、ちゃんぽんを出すお店もたくさんあるし、トルコライスも、佐世保バーガーも食べ歩きたいと思ったら、通うようかも。

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時間があるので、せっかくゴールドカードを持っているんだから、カードラウンジであるビジネスラウンジ・アゼリアへ行く。

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地方空港にありがちな小さなカードラウンジ。

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その地域のドリンクを提供しているラウンジもあるけど、ここはご当地のドリンクなどは特になし。

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空港ラウンジから見えるのは滑走路側ではなく大村方面の風景。

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セキュリティチェックを通過して、待合室へ。

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17:50発ピーチMM354成田行きの機材はバニラ仕様のエアバスA320。

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機材が無事に到着しているので、17:50の定刻に出発できるだろう。

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帰りも窓側の席。定刻通り出発し、上空はまだ夕方の明るさが残っている。

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成田空港に到着し、第1ターミナル国内線は基本的に沖止めなのでバスに乗る。

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未踏の都道府県:コンプリート!
宿泊したことがない県:滋賀県、兵庫県、鳥取県、徳島県、大分県。

まだ国際線の運行が少なく、閑散としている国際線到着ロビーの前を通り、成田空港駅に向かう。今回のように「未宿泊県」と最初にお題があって、訪問するスポットを決めるというのも面白いかもしれないなぁ。そして、今回の佐世保の九十九島のように、狙って行くのではなく、行き当たりばったりで美しい風景にめぐり合うのもなかなかいい。最後に、今回の3泊4日の旅行はリュックサックのみで帰路も重量7キロ未満という制約を持った旅だったけど、キャリーバックではなくリュックサックにしてしまえば7キロはかなり余裕があることがわかる。私の海外旅行は5日間の休暇で現地3泊のことが多いので、リュックサックひとつの海外旅行をリベンジしてみてもいいかもしれない。(長崎雲仙・佐賀周遊旅行 おしまい)

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2024年10月22日 (火)

長崎雲仙・佐賀周遊旅行4日目(3)お昼ごはんは、佐世保バーガーミュージアムで佐世保バーガー。

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本当に恥ずかしながら「佐世保」のキーワードに対して「佐世保バーガー」しか思い浮かばなかった私は、Googleマップで佐世保バーガーミュージアムに行こうと思って、時間が余るので「展望台」の表示を見つけて、たまたま訪れた九十九島展望台。私の旅はいつも行き当たりばったりだけど、偶然、美しい風景に巡り合うこともある。そして、最初に目指していた、佐世保バーガーミュージアムに到着。

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寄り道しなくても、ここに来れば九十九島の美しさに気がついたかも。

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1月だから寒いけど、季節が良ければ、外の席に座って九十九島を見ながらハンバーガーを食べたい。

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お店の中に入り、席に座る。お店は混雑していない。

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座席だって、オーシャンビューで九十九島がよく見える。

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佐世保バーガーのスペシャルを注文。懐かしい瓶コーラ。

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チーズ、ベーコン、エッグ入り。

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つぶして口にほおばると美味しい。戦後、米海軍基地近くのお店がアメリカ人向けに作っていたのが源流みたいだけど、佐世保市内だけで25店舗以上の佐世保バーガーショップがあるというので食べ歩いてもいいかも。

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もうすっかり九十九島の風景に魅了されていて、当初は佐世保バーガーに行くための寄り道のはずだったのに、展望所巡りがメインになっている。最後は石岳展望所。

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石岳展望所は駐車場からちょっと歩く。

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正面にコンクリートの建造物が見えてきた。

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石岳展望所からは九十九島の小さな島がたくさん見える。美しい海、入り組んだ海岸線、海に浮かぶ島、どの展望所から見ても魅了されてしまう。

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海の色が美しい。

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海に浮かぶ船の軌跡がおもしろい。

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石岳展望所からは造船所などがある佐世保市内方向も見ることができる。

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世界遺産「長崎と天草地方の潜在キリシタン関連遺産」をテーマにして、佐世保から平戸方面へ旅をしてもいいかもしれないなぁ。黒島天守堂のある黒島に渡ってもいい。事前に世界遺産を巡るつもりで計画を立てておけば、もっと世界遺産を巡ることができたのかなぁ。でも、島原から佐世保はけっこう遠いので、今回の旅程はこれでよかったんだと思う。事前の下調べが甘い、行き当たりばったりの旅のわりには、島原の乱の歴史を学んだり、有田焼の歴史を学んだり、そして九十九島の絶景に出会ったり、充実していた気がする。

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コンクリート造りの展望台から映り込んでしまう低い位置にある展望台に行ってみる。

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この場所は「ラスト サムライ」のシーンに使われた。確かに夕景は見てみたいかも。旅行だと、天気に影響されてしまうので難しいんだけど。

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同じような構図で写真を撮ってみる。これが夕景だったら、確かにもっと美しいのかも。でも、この風景だけでも十分に美しい。

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そろそろ日産ノートで大村方面に向かう。目の前にはハウステンボスが見える。

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外からだとハウステンボスの雰囲気はわからない。新型コロナウイルス感染症の影響でこのまま海外旅行に行けないのだったら、テーマパークで海外旅行気分を感じるのもいいかもしれない。この時は、新型コロナウイルス感染症が終焉を迎えたと思ったら、今度は航空券の高騰、物価高、円安ユーロ高によって、金銭的にヨーロッパに行くのが難しくなるなんて思ってもみなかった。

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佐世保から彼杵(そのぎ)まで高速道路があってもいいのになぁ。佐世保から大村方面は高速道路だと武雄経由で遠回りなので、彼杵(そのぎ)まで海沿いの一般道を走り、ここまで走ってしまうと、そのまま一般道で大村を目指す。

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レンタカーを返す前に、海上空港である長崎空港に渡る橋の手前にある「サンスパおおむら」に立ち寄ることにする。

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「天然温泉大村ゆの華」に立ち寄ることにする。

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最後に温泉に入り、今回の旅を締めくくる。本当は石垣島に行こうと思っていたんだけど、マスメディアは沖縄が危険だと騒ぎだし、自粛派の人が騒ぐので、本当に急遽企画した長崎・佐賀周遊旅行だったけど、結果的には「まだ知らない」地を巡るのはおもしろかった。今回は事前調査もいつも以上にしておらず、九十九島の風景なんて知らずに、ハンバーガー店に行くついでに立ち寄るくらいにしか考えていなかったのに、すっかりと九十九島に魅了されてしまう。

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2024年10月18日 (金)

長崎雲仙・佐賀周遊旅行4日目(2)佐世保バーガーのついでに訪れた佐世保・九十九島(くじゅうくしま)の風景は想定外の美しさ。

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佐賀県立九州磁器文化館を出て、泉山磁石場に近く「有田陶器市」も開かれる陶磁器専門店が並ぶ通りに行ってみる。

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「トンバイ塀のある裏通り」には、登り窯を作るために用いた耐火レンガ(トンバイ)の廃材を赤土で塗り固めた塀がある。

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廃材として使用されているということは、このあたりに登り窯があったんだろうけど、今はないみたい。

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「有田陶器市」も開かれる表通りは、平日の午前中はほとんど人通りがない。

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この通り沿いに陶磁器店が多くある。

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さすがに普段使いできるような陶磁器が並べられている。

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絵付がすばらしい巨大な壺も展示されている。

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お店を外から眺めているだけでも、ちょっと楽しい。さすがに買うつもりもないし、お客さんもいないので、お店に入る勇気はない。

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本物の有田焼ってどれくらいのお値段なんだろう?

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急須くらいなら買えるけど、今では急須を使って茶葉を煎じてお茶を飲む人も少なくなってしまい、日本茶も売れないくらいだから、急須も売れないだろう。かといって、私はティーパックのお茶で美味しいと感じるものにはまだ巡りあっていない。

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汽笛が聞こえると思ったら、陶山神社前の遮断機のない踏切では撮り鉄が特急電車を緊急停止させてしまっている。

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駐車場に戻ると佐賀ナンバーのプジョー2008に出会う。

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佐世保に佐世保バーガーを食べに向かうことにする。

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佐世保市内で発見した、私がまだ知らないファミレス「牛右衛門」。国内旅行をしていると、まだ知らないファミレスがあったり、けっこう発見がある。

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実は今日はかなりノープランで、佐世保で佐世保バーガーを食べることしか決めていない。ハンバーガーを食べるだけでは時間が余るので、たまたまGoogleMapで展海峰展望台という観光スポットを発見して、立ち寄ってみることにする。もちろん、九十九島(くじゅうくしま)なんて、今回は直前に旅行を手配したのでいつも以上に事前に調べていないのでよく知らない。

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駐車場から歩いて展望台に向かう。

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事前にここに来ようと思っていた場所ではないけど、展望台からの景色を見る。

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九十九島、島と海の風景がものすごく美しい!

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九十九島のことを事前に下調べをしていないので、かなりの偶然でここに来たんだけど、ずっと見ていても飽きないくらい美しい風景。

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九十九島の名前通り、大きな島と小さな島が数えきれないほどある。

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地図を見ると、九十九島の展望台はここ以外にも何ヶ所かある。九十九島にすっかり魅了されて他の展望台にも行ってみることにする。

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次の展望台は船越展望所。

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太陽の光が注いできて、海の青さが引き立ってきている。

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私は偶然、「まだ知らない」九十九島の絶景を知ってしまったけど、ここは本来は偶然訪れるような風景ではなく、狙って九十九島展望台巡りをしてもいいほど、美しい風景。

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そして、ずっと眺めていられる風景。「まだ知らないどこか」は行き当たりばったりで、偶然、知ることになることもある。

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2024年10月15日 (火)

長崎雲仙・佐賀周遊旅行4日目(1)ドイツ・ドレスデンのツヴィンガー宮殿を再現した有田ポーセリンパークへ。

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2022年1月12日、水曜日。佐賀県にある嬉野温泉、湯快リゾート嬉野館で迎える朝。これで佐賀県は私にとっての「未宿泊県」を脱することになる。早起きして大浴場で朝風呂を楽しんでから朝食レストランへ向かう。

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時間が早かったのか空いている。

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冬のごちそうフェアとして朝から卓上コンロでの焼き物「みそ煮込み」がある。あれ?雲仙では見落としたかも。

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十分に種類がある朝ごはん。

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朝から、卓上コンロでの「みそ煮込み」も楽しい。

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朝ごはんを食べ終わり、部屋に戻る。よく見るとため池なんだけど、水のある風景はいいかも。

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鏡面反射した空の風景がなかなかいい。

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外観はレトロな感じだけど、改装されていると思うんだけど、内装はなかなかの温泉ホテル。

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ホテルの前には足湯がある。

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タオルも用意されている。2022年1月、この時期ならではの案内が掲示されている。「外来足湯利用の中止のお知らせ」で「当館足湯はご宿泊のお客様専用でございます。(近隣住民のお申し出を受け、嬉野警察署へ相談の上で決定致しました。ご理解の程よろしくお願い致します。)」と書かれている。間違いなく、ごく一部の自粛警察、他県ナンバー狩りの影響だろう。温泉街の湯宿広場の足湯やシーボルトのあし湯は閉鎖されていないので、温泉街から離れているここまでわざわざ足湯を楽しみに来る人はいないと思うけど。近隣住民と言っても、湯快リゾート嬉野館は市街地からちょっと離れていて、周囲はため池と寺に囲まれていて、民家は隣接していない。守るべきは感染症対策なのに、政府とマスメディアによる「不要不急の外出の自粛」のプロパガンダを信じてしまい、目的が感染症対策ではなく「不要不急の外出」を取り締まることにすり替わってしまい、遊びに来ている人は「けしからん」となってしまった一部の人たちがいた証拠のようなもの。きっと、そのような人たちは、観光客をキリシタンの拷問のように雲仙地獄に突き落としたい気分だろうけど、他人の行動が気になるなら、自らが「人をねたむ、みにくい心」である「邪見」を治療するために雲仙温泉の邪見地獄でお湯を飲んだ方がいい。

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佐賀県の観光をしないのももったいないので、今日は有田に行って、佐世保で佐世保バーガーを食べて長崎空港に向かう予定。

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Googleマップを見ると、嬉野温泉から有田に行く途中に「有田ポーセリンパーク」があるので立ち寄ってみることにする。山の中に現れたのはツヴィンガー宮殿。

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入場料無料のわりに、ドイツ・ドレスデンにあるツヴィンガー宮殿を再現したものだけど、確かにヨーロッパの宮殿はよくできている。この写真だとヨーロッパで撮った写真だと言ってもわからないだろう。新型コロナウイルス感染症の影響で展示室は閉鎖されており、外観しか見ることができない。

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なぜ有田にツヴィンガー宮殿かというと、ドレスデンにある本物のツヴィンガー宮殿は、ドイツ・ザクセン選帝候(せんていこう)でありポーランド王でもあったアウグスト王によって18世紀に建てられた。当時はヨーロッパに磁器はできず、中国や日本からの磁器が貴族によって集められた。そのアウグスト王の命によって、マイセン陶磁器が生まれる。そのため、マイセンの陶磁器は、初期は中国や日本の伊万里の影響を受けているという。現在ではマイセンと有田は姉妹都市となっている。

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バロック庭園もよく整備されている。しかし、このテーマパーク、庭園だけでも維持費は大変な額になりそう。ツヴィンガー宮殿だって維持費はかかるだろうし、焼き物体験と売店くらいしかオープンしておらず、良心的で入場料も取らないとなると、運営は厳しいんじゃないかなぁ。日本でヨーロッパ風の写真を撮れるスポットとしてはおもしろいけど、それ以外は売店と有田焼工房での焼き物体験しかメニューがないので、テーマパークとしてわざわざここに来るかというと厳しいかなぁ。

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写真を撮ってトイレに行っただけで「有田ポーセリンパーク」を去って次の目的地へ。せっかく、立派な宮殿があるのに、テーマパークなのに「テーマ」がよく見えないのが本当にもったいない。でも、入場料無料なので写真を撮るために立ち寄るのは価値がある。そして、私はドイツ旅行には20年以上行っていないので、ドレスデンで本物のツヴィンガー宮殿を見に行くのも面白いかなぁと思い始めている。でも、地図を見るとドレスデンはミュンヘンからもフランクフルトからも遠いのでなかなか行きづらい位置。5日間の旅程で行くには行きづらい場所かも。プラハから行ったほうが近いかなぁ。

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私は陶磁器の知識が全くないので、有田にある佐賀県立九州陶磁文化館で学ぶことにする。

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有田焼は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に朝鮮から連れてこられた陶工が、陶石を有田の泉山で発見し、磁器の製造が始まる。最初の頃は、輸入されていた中国の磁器の影響を受けている。

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1644年、中国の明が滅亡し、中国からの輸入が少なくなり、中国製磁器を代替する形で国内の磁器市場を独占するようになり、1647年ごろからは輸出するようになる。中国国内の混乱に伴い陶工が日本に避難し、中国からの技術を取り入れ、赤、黄、緑の色彩を使った「色絵」の製品が登場する。色は感じるけど、素朴な感じ。

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江戸時代になると、白地の余白を生かした構図となる。この時代にドイツ・ザクセン選帝候アウグスト王などのヨーロッパ貴族によって、有田焼の収集がブームとなる。

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絵柄もシンプルで普段使いができるような感じ。

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面白いのが、次の年代は白地が見えないほど文様を描く作品が出てくる。1710年にアウグスト王の命によってマイセン磁器が誕生する。このあたりの歴史が「有田ポーセリンパーク」が作られるつながりとなったのだろう。

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美しい器だけど、普段使いには難しそう。ウィーンの王宮などの海外で見かける有田焼はこんな感じかも。

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そして19世紀の幕末から明治期にかけて、1867年パリ万博や1873年ウィーン万博に出品され、有田焼が輸出されるようになり、その際の包装紙として浮世絵が使用される。

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この有田焼が輸出される際の包装紙がゴッホやモネ、ルノワールなどに影響を与え、ジャポニズムのブームがヨーロッパで起きることになる。

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2024年10月11日 (金)

長崎雲仙・佐賀周遊旅行3日目(5)美肌の湯、嬉野温泉街でなまず様に出会う(湯快リゾート嬉野館[大江戸温泉物語嬉野館]の夕食バイキング)。

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湯快リゾート嬉野館(大江戸温泉物語嬉野館)にチェックイン。外観はレトロな感じだけど、ロビーが広くて、改装されているのかとてもきれい。

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おみやげコーナーもちゃんとある。

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オーソドックスな和室のレイアウト。布団は最初から敷いてある。食事を部屋食で提供されるような旅館でなければ、最初から敷いてあってもいいと私は思っている。

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洗面台もオーソドックなレイアウト。

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トイレもちゃんと洋式便座となっており、タンクがちょっとレトロだけど、シャワー式便座だし問題はない。

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窓からの風景は、きれいな池だったらいいんだけど、灌漑用のため池という感じ。

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部屋に置かれているのは名産品の嬉野茶。

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夕食までには時間があるので嬉野温泉街を散策することにする。嬉野温泉の名物は、温泉湯どうふ。豆腐を温泉水で湯豆腐にすると、アルカリ性の温泉水の関係で溶け出す。ちょっと食べてみたいかも。名物料理にはお昼ごはんで食べればいいと思って、湯快リゾートのホテルにしてしまったけど、バイキングのメニューに入っているのかなぁ。

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シーボルトのあし湯に出る。先客がいるのに、入り込む勇気はないので、足湯はパス。

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嬉野温泉公衆浴場「シーボルトの湯」。そもそも、嬉野温泉とシーボルトのつながりは、江戸時代に嬉野温泉に立ち寄ったことがあるということらしい。たしかに鉄道の長崎本線は有明海沿いを走っているけど、長崎街道は嬉野を通っているから、鉄道がない時代に長崎街道を利用したら、たいていの偉人はここに立ち寄っている気がしないでもないけど。温泉はホテルに戻ってから入ることにして、散策を続ける。

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嬉野橋を渡り、塩田川の風景を眺める。川沿いには旅館が立ち並んでおり、温泉街の雰囲気を感じられる。

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川沿いの遊歩道を歩き、再び橋を渡る。高層の温泉ホテルは少なく、低層の旅館が多いことがわかる。

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長崎街道を歩いていると、神社の参道を見つける。

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参道を進むと豊玉姫神社に出る。

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手水社の上には「なまず」の姿がある。豊玉姫神社のお遣いは「なまず」。そして、なまず様は古来より「肌の病」にご利益があると言われている。

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へぇ、嬉野温泉のお湯なんだ。嬉野温泉は重曹泉で、日本三大美肌の湯を言われている。

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豊玉姫神社の大神のお遣い「なまず様」が鎮座している。

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なまず様に二礼、二拍手、一礼をして、「素肌健康」、「しわ退散」、「皮膚病退散」などの願いを込めて、願い水をかける。願い水の中にも肌に良い成分が含まれているという。

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美肌の神様、豊玉姫神社に美肌を願ってお参りする。

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嬉野温泉の散策を終えて、湯快リゾート嬉野館に戻ってくる。建物のデザインが宿泊棟、中間部分、エントランス部分と統一されていないので、増改築されたに違いない。私はかつては繁栄していたレトロホテルが好き。

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美肌の湯に入ってから、夕食レストランに向かう。雲仙東洋館と異なり、そこそこ宿泊客がいる。

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今回の旅行は直前に手配したことと、この時期はGotoトラベルも県民割も全国旅行支援もないので、伊東園ホテルズの西日本版の湯快リゾートに泊まってみたいと思って、2連泊にしてしまったけど、事前に予測できたことだけど、バイキングのメニューは同じようなもの。

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でも、ちゃんとその土地の名物は置かれていて、食べたかった温泉湯豆腐が置かれている。

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当たり前だけど、チェーン展開しているということは、冬のごちそうフェアの「創作ひとり鍋」はここでも同じ。ということは置かれている料理も同じかも。

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でも、佐賀県らしく「がめ煮」もあるし、茶碗蒸し有明海苔あんもあるし、その地方らしさも多少はあるので楽しめる。バイキングは食べたいものを食べればいい。

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2024年10月 8日 (火)

長崎雲仙・佐賀周遊旅行3日目(4)鯉の泳ぐまち、島原を散策する。

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島原の観光スポットとして、次に「鯉の泳ぐまち」を見てみることにする。

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武家屋敷の水路を見ているので、きれいな湧水がある町なんだろうなぁとは感じていたので、「鯉の泳ぐまち」も想像できるんだけど、町の中に水路があり、そこに錦鯉が泳いでいる。

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新町エリアは湧水が豊富で水路の水は透き通っていてきれい。そこに泳ぐ錦鯉も風景にアクセントを与えていていい感じ。

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島原湧水群として日本名水百選にも指定されている。

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湧水庭園「四明荘」に入ってみることにする。

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昭和初期に開業医である伊東元三の別邸として建築され、四方の眺望に優れていることから「四明荘」として名付けられた。

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建物の中に入ると、池と一体化していて、池の中に建てられているみたい。この池には1日に3000トンの湧水が流れている。

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縁側の下にはきれいな湧水の中を鯉が泳いでいる。

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縁側に座って、ぼーっと庭を眺めているだけで、幸せな気分。今日は朝から、島原の乱についての学習モードだったので、鯉が泳ぐのをぼーっと見ていると心が癒される。島原は、湧水のまちであることを実感する。

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レンタカーの旅だと、ポイントとポイントを点で結んでしまうので、観光スポットを効率的に巡るにはいいんだけど、道中でも気になるものがあっても通り過ぎてしまうので、せめてクルマから降りている時は、街を感じることにする。屋根のあるアーケード街がある。

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街中に島原温泉ゆとろぎの湯を発見。

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原城温泉が休館日で行けなかったから、行ってみようかなぁ。日帰り入浴をすることにする。

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雲仙温泉とは違って、さっぱりした泉質。

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アーケード街の側にも温泉の入口があったみたい。このアーケードが島原の商店街なのかなぁ。

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歴史がありそうなお菓子屋さん。看板は「ざぼん砂糖漬」で、ざぼんの砂糖漬けって鹿児島あたりで作られているものかと思っていたんだけど、島原でも名物なんだ。

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私はその地域のお菓子屋さんでお菓子を買うのが好きで「ざぼん漬」を購入してしまう。荷物が多くなることを気にして一番小さなサイズを購入。今は、クルマなのでトランクに入れてしまうので荷物が増えても気にならないので、調子に乗って買い続けるとレンタカーを返却後の長崎空港で大変なことになるかもしれない。

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カステラって長崎の広い地域で作られている。蜂蜜かすてら本舗三勇堂さんも気になってしまうけど、また買ってしまうので、さっとお店の様子を見るだけにする。

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島原を出発し、佐賀県の嬉野温泉に向かう。今さら、青空が見えてきた。

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海沿いの国道251号線を走る。

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諫早湾って、穏やかな内湾かと思ったら白波が立っている。

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諫早湾干拓堤防道路を通って有明海を肥前鹿島あたりまで北上するつもりが今日は通行止め。途中の道の駅鹿島で有明海の干潟を見ようと思っていたのに。

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諫早湾干拓堤防道路が通れないとなると、いったん諫早まで出ることになる。諫早まで出てしまうと、大村経由の方が嬉野温泉に行くには近い。高速道路は使わずに国道34号線、長崎街道を北上する。今度は左側が海で、大村湾。

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島原から一般道を途中で休憩もせずにノンストップで嬉野温泉に到着。

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本日の温泉ホテルは、湯快リゾート嬉野館(大江戸温泉物語嬉野館)。もう建物からして、かつては繁栄していた大型ホテルであることがわかる。

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正面玄関は2階建ての構造。あとから増改築したんだろうなぁ。伊東園ホテルズや大江戸温泉物語などのホテルに宿泊すると、どんどん増改築した結果、複雑な構造になることがあって、それを探検するのもまた楽しみ。

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2024年10月 4日 (金)

長崎雲仙・佐賀周遊旅行3日目(3)お昼ごはんは、まだ知らない島原名物「具雑煮」と「かんざらし。」

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原城跡から日産ノートで島原市内に向かう。そろそろお昼ごはんの時間なので、名物料理を検索すると「具雑煮」という料理が名物らしいので、島原城前の「姫松屋本店」に行ってみることにする。

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けっこう大きなお店。島原名物具雑煮って、なんだろう?コロナ禍で海外旅行に行けなくなって、国内旅行をするようになってから、まだ知らない料理、まだ知らない味が日本国内にもたくさんあることに気がつく。

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お店の中も広い。

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窓越しには、島原城の西三重櫓(再建)が見える。

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具雑煮の由来は天草四郎がもちを兵糧として蓄え、山や海から様々な材料を集めて雑煮を炊き、栄養をとりながら3ヶ月も戦ったと書かれている。確かに、写真で見ても具沢山で美味しそう。レンタカーの旅はビールが飲めないので、食事には多少お金をかけてもいいから具雑煮定食の松と竹で悩んでいると、とても正直な店員さんが違いを教えてくれて、売れ筋は竹であることを教えてくれたので、具雑煮定食の竹を注文する。

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ビールが飲みたくなるおかずたち。雑煮にごはんがついてくるんだけど、お刺身を含めておかずがいっぱいあるから、炭水化物どうしだけど矛盾しない。

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関東地方出身だと馴染みのない丸餅の具雑煮、出汁が美味しい。

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メニューの中で、まだ知らない「かんざらし」というデザートを発見して注文してみる。白玉に蜜がかかった素朴なメニューだけど、そんなに甘くない蜜と白玉が美味しい。

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レンタカーをちょっとだけ動かして、姫松屋の目の前にある島原城に入る。もちろん再建天守だけど、建造時を再現しているとすれば石高に対して五階建ての天守閣は立派すぎる。すでに学習している通り、財政が豊かな国だったからではなく、その原因は松倉重政が見栄っ張りだったから。石高に見合わない巨大な城をつくるために農民から過大な年貢徴収を行い、島原の乱が発生する要因となる。

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内部は博物館になっており、ここでもキリシタンに対する雲仙地獄での拷問、迫害が展示されている。私は、ここにくる前は、島原の乱=キリシタンの迫害というイメージだったんだけど、旅をしてみてわかったことは、主原因は松倉重政・勝家親子による悪政だったことがわかる。この石高に比べて豪華な島原城がその象徴。

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今日は曇り空。雲仙岳には雲がかかっている。西三重櫓も再建されたもの。

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有明海もよく見えない。

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「島原大変肥後迷惑」というネーミングがすごいけど、1792年に雲仙岳の火山性地震と眉山の山体崩壊により、土砂が一気に有明海に流れ込む。そのために津波が発生し、15000人が犠牲となった。「迷惑」というのは、肥後まで津波が来たことを指すのだろう。

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武家屋敷通りには島原城から歩ける距離だけど、クルマで向かう。車の旅の欠点は、ポイントとポイントの間の移動を「歩き旅」だと感じられるけど、クルマだとポイントとポイントを結ぶだけで素通りになってしまう。

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赤い点線で囲まれている地域を散策してみる。

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街路の中央には水路がある。湧水を引いたもので生活用水として利用されていた。今でも、その水路が残されている。

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湧水を引いたもので、きれいな水が流れている。

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山本家は、深溝松平家の松平忠房に家臣として宇都宮移封、再度の島原への移封に随行した。建物としては幕末の明治元年の建築となっている。屋根は藁葺き屋根となっている。

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通気性のためのものなのか欄間がおもしろい。

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なかなか風情のある通りだと思うけど、平日だからか観光客の姿が見られない。これだけ、武家屋敷の雰囲気を残している通りは大したものだと思うし、もっと有名になってもいい。

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山本邸の向かいに立つ建物は篠塚邸と書かれている。篠塚家も深溝の出身で、深溝松平家に随行してきた家。

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少し離れたところにあるのが鳥田邸。鳥田家も深溝松平氏に随行してきた。このあたり一体は、中級・下級武士の団地のようなもので、面積や建物は似通っている。瓦と藁葺きの組み合わせが面白い。

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街路の中央の水路、藁葺きの屋根、石垣などは歴史を感じられる。

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ものすごく風情がある通りだと思うけど、まぁ事前に調べない私が悪いんだけど、ここへ来るまでこんなに風情がある通りがあることなんて知らなかった。近くにある観光スポットとして立ち寄ってみたけど、最初からこの風景知っていて、見ようと思ってここに来たわけじゃない。

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風情ある島原の武家屋敷通りは実際に歩いて感じた必見スポット。風情を感じられる必見スポットて、日本国内でも私がまだ知らないだけで、山ほどある。基本的に私は旅の目的地がないと旅行を組まないんだけど、もしかしたら私が意図しない場所にこそ、まだ知らない発見が隠れているのかもしれないなぁ。

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2024年10月 1日 (火)

長崎雲仙・佐賀周遊旅行3日目(2)世界遺産「長崎と天草地方の潜在キリシタン関連遺産」の原城跡へ。

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南島原市有馬キリシタン遺跡記念館でキリシタンの歴史を学んだあとは、島原の乱で一揆軍が籠城をしたという原城跡へ。原城跡の近くまでいったんは来たんだけど、駐車場がわからなくて、駐車場の看板をたどりながら海沿いにある温泉施設まで来てしまう。原城跡の前から、この駐車場までは結構な距離があったけど、原城はかなり大きな城だったのかもしれない。何しろ、幕府軍も攻略に苦戦したくらいだから。

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駐車場は海岸沿いにあり、島原方面を眺めると雲仙が見える。

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駐車場の案内にしたがってクルマを駐車したんだけど、温泉施設「原城温泉 真砂」の駐車場だったのかな?まぁ、帰りに温泉を利用してもいいかも。

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せっかく立ち寄ったわけだし、ここで温泉に入ってもよかったんだけど、本日は残念ながら休館日。

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原城温泉から原城の本丸を目指して、まずは坂道をあがる。人工的に作られた切り通しなのかなぁ。

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坂を上がると、原城の大手口跡があったとの案内板があるんだけど、そもそも廃城となった城であり、島原の乱で破壊されただろうから痕跡はない。原城温泉からの坂道は当時からあったということなのかな。

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大手口跡をすぎるとそこは三ノ丸跡だけど、畑や野原が広がっているだけで、土塁などが残っているわけではなさそうなので、よくわからない。一つだけ感じることは、原城はかなり大きな城だったということ。

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この近くには幕府軍の総大将である板倉重昌碑がある。1683年元旦に原城総攻撃の際に原城のこの場所で戦死した。幕府軍の総大将が戦死するって、一揆軍は強力だったんだろう。

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まだまだ本丸は遠い。前方の右手が高台(丘)になっていることがわかる。ここが三ノ丸だとしたら高台がおそらく二ノ丸。自然地形を利用して、二ノ丸と三ノ丸が作られていたのかも。

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玉ねぎ畑が広がっており、ここが城址だと言われなければわからない。

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このあたりが二ノ丸跡らしいんだけど案内板でしか確認できない。おそらく、三の丸よりも一段高い位置であることはなんとなく感じられる。

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この円形状のくぼみは原城の遺構なのかなぁ?二ノ丸、三ノ丸は石垣ではなく地形をうまく利用した土の城だったようなので、自然地形をうまく利用していたのかもしれない。でも、土肌が露出しているように見えるので、最近のもの?

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ようやく本丸が見えてきた。本丸は高台にあり、お城らしさを感じるんだけど、手前側には玉ねぎ畑が広がっている。海に向かって低地になっている。

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本丸の海側は急な崖になっている。本丸は明らかに丘の上にありお城を感じることができるかも。

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本丸の前には空堀があり、石垣も見える。部分的に石垣が残っている。

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本丸は石垣が作られているけど、現存するものはそんなに高い石垣ではない。

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本丸正門跡は、右側に直角に曲がっているのがわかる。かつては櫓門があったのだろう。

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さらに進むと本丸にたどり着く最後の門である本丸門。こちらも右側の直角に曲がっている。かつては防御するための櫓門が建てられていたのだろう。

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本丸に入ると、広い平地が広がっている。このあたりが櫓台跡(天守台跡)。築城された時には三層の櫓(天守閣)が建っていたと言われている。

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海側は急斜面で、山側も自然地形をうまく利用している。部分的に石垣が残っているけど、当時の高さがわからない。

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海面から考えると、けっこうな斜面で、下から攻めてくれば、返り討ちに遭うだろう。

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本丸には天草四郎時貞の碑が立っている。

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民家の石垣の中にあったものを移設したもの。15歳の若さで一揆軍の総大将として一揆軍を率いた。天草四郎は小西行長の家臣の子であることから、一揆軍には小西行長や有馬晴信の旧臣もいたんだろう。さすがに武士がいなければ、幕府軍とここまでは戦えない。

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本丸の一番奥の海が眺められる場所には、十字架のモニュメントが建てられている。海沿いの高台にあるので、晴れていれば美しい海の風景が見られるだろうけど、この地では一揆軍37000人全員が命を落としたと言われている。迫害を受けていたのがキリシタンであったことは原因のひとつではあるものの、今回この地で学んだことは、いかに松倉重政・勝家親子による悪政が酷かったか。幕府を会社の本部と例えれば、中間管理職である藩主が自分の功績を社長に認めてほしくて、売上を過大に報告し、社員を酷使しすぎてとうとう社員から反発を受ける。そして、全員社員が会社を辞めてしまったら、誰が業務を行うのか。農民がいなければ、年貢を厳しく取り立てるどころか耕作する人がいなくなってしまう。

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でも、現代でも部下や同僚を犠牲にしてでも自らの「手柄」をアピールする人はいるので、似たようなことが起きてもおかしくないかもしれないなぁ。天草四郎像は、天に祈りを捧げている。

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2024年9月27日 (金)

長崎雲仙・佐賀周遊旅行3日目(1)天草の乱の原因はパワハラ上司?南島原市有馬キリシタン遺跡記念館でキリシタンの歴史を学ぶ。

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2022年1月11日、火曜日。雲仙温泉、湯快リゾート雲仙東洋館で迎える朝。すでに早起きして大浴場で朝風呂を楽しんで、朝食会場へ向かう。

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朝食会場は空いており、のんびりと料理をとることができる。やっぱり、宿泊客が少ないんだと思う。

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座席も空席が目立つ。

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珍しいものはあまりないんだけど、十分な種類のおかず。

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そして「島原そうめん」のコーナーがあって、私は島原のそうめんが名産品だということを今日まで知らなかったんだけど、具材をたっぷり入れたそうめんが美味しい。

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なぜか温泉まんじゅう。

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最後はコーヒーにヨーグルト。

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大きめの売店もあるし、かつては賑わっていたんだろうなぁ。

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ロビーも広い。マスメディアは毎日陽性者数の報告をし続けており、当時は沖縄で感染爆発というようなニュースが流され続けており、まだ新型コロナウイルス感染症の影響を強く受けており、温泉も食事会場も空いていたけど、2024年の今はきっと賑わいを取り戻しているだろう。

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湯快リゾート雲仙東洋館をチェックアウトして、これから島原半島の観光を始める。湯快リゾートも建物は古いんだけど温泉は本物なので、なかなかいいじゃん。今日の目的地は、最終的には佐賀県の嬉野温泉。しかも嬉野温泉で宿泊する予定のホテルは、またしても湯快リゾートの嬉野温泉嬉野館(大江戸温泉物語嬉野館)。これで、未宿泊県の佐賀県をクリアする予定。

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今日は日産ノートでロングドライブ。まずは世界遺産「長崎と天草地方の潜在キリシタン関連遺産」の原城址方面に向かう。

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雲仙温泉から南島原市方面に山を下っていく。後続車がいないので写真を撮るために一旦停止。

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原城址に行く前に「南島原市有馬キリシタン遺跡記念館」に立ち寄ってみる。

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そもそも、私はキリシタンの歴史について断片的にしか知らないので、原城跡に行く前に学ぶことにする。

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南蛮衣装が飾られている。1549年のキリスト教伝来以降、南蛮貿易との見返りとして、また大名自身もキリスト教に入信するものもいた。九州のキリシタン大名である大友宗麟(義鎮)、大村純忠、有馬晴信の名代として1582〜1590年に天正遣欧少年使節がローマに送られることになる。

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キリシタン大名である有馬晴信によって1580年にキリスト教の教育機関である有馬セミナリヨが設置され、場所の変遷はあるものの1611年までは継続しておりキリスト教が学ばれていた。また、高等教育機関であるコレジヨも設置されていた。そのセミナリヨで学んだ第1期生の4名が天正遣欧少年使節としてローマ教皇に謁見することになる。豊臣秀吉がバテレン追放令を出すのが1587年(天正15年)なので、セミナリヨが1611年まで継続していたとすればバテレン追放令後も継続していたことになる。

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有馬晴信の時代は戦国時代なので龍造寺隆信の台頭により厳しい状況に置かれていたが、島津氏と通じて龍造寺隆信を1584年沖田畷の戦いで滅ぼす。その後も秀吉に仕えて文禄の役に参加、関ヶ原の戦いでは徳川方の東軍につき本領安堵となる。1604年には手狭になった日野江城の支城として原城を完成される。また朱印船貿易により利益をあげるなど繁栄する。

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ところが、1609年マカオで乗組員が殺害される事件が発生し、その報復として有馬晴信は長崎港でポルトガル船を沈没させる。その褒章を巡って、幕府老中の岡本大八と金銭的なトラブルになる。一連の調べの過程で、幕府によって有馬晴信は甲斐国に流罪ののちに切腹の沙汰が出る。キリシタンであった晴信は自害せずに家臣に斬首させる。息子の有馬直純は事件とは無関係のためにそのまま所領を引き継ぐが、1614年に日野江藩(島原藩)から日向国延岡藩に加増転封となる。その後、1616年に松倉重政が大和国五条藩から移封となり島原藩に入るところから悲劇が始まる。

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1618年、一国一城令に従い、日野江城、原城を廃城として、新たに島原城を築城する。島原藩の石高に見合わない5重5階の巨大な城を建造する。また、立派すぎる城の建造費をまかなうために、領民からは通常の倍の年貢の取り立てを行い始める。同じ時期に幕府の命に従い、1621年ごろからキリシタンの弾圧を始め、1627年には雲仙地獄でキリシタンの拷問が行われるようになる。さらには、自らの手柄をあげるためにルソン島への出兵、侵略も幕府に提案するようになる。まぁ、部下を犠牲にして、他人を踏み台にしてでも、手柄をあげて出世しようとする人は今でもいるわけで、現代でもあり得ない話ではない。

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1628年ごろから「絵踏み」が行われるようになる。悪政を行った松倉重政は1630年小浜で急死し、子である松倉勝家が2代目藩主となるが、領民に対して父親以上の搾取を行う。

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1633年、天正遣欧少年使節の一員である中浦ジュリアンは小倉で囚われて長崎で穴吊るしの刑によって殉教する。

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翌1634年は悪天候と干ばつによって凶作となるが松倉重政は容赦無く年貢を取立てた。そのような悪政によって耐えかねた領民たちは、ついに天草四郎を大将として1637年10月に島原の乱が勃発することになる。ここで資料を見て学んだことは、原因としては徳川幕府によるキリスト教弾圧も要因ではあるけれど、松倉重政・勝家親子の悪政が主原因であるということを学ぶ。この資料館では解説はされていないけど、小西行長の領地であった天草でも寺沢弘高による悪政が行われていた。

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原因は松倉重政・勝家親子による悪政に対する一揆だけど、たまたま有馬晴信の時代にキリスト教の布教があって、領民にもキリスト教が布教されていた。徳川幕府による全国的なキリスト教弾圧の流れを含めて、キリシタンの団結力が強かったのだろう。

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一揆軍はすでに廃城となった原城に籠城することとなる。

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幕府軍は包囲し兵糧攻めを行い、兵糧や弾薬が尽きてきた1638年2月28日に幕府軍が総攻撃を仕掛け、原城に籠城していた37000人全員が亡くなったと言われている。島原の乱後には領民がいなくなってしまったために、幕府は農民移民を命じることになる。また、松倉勝家は、一揆の責任と問われ、改易の上で斬首となる。大名が切腹ではなく斬首となったのは、松倉勝家の1件のみとされている。現在でも、社長の顔色ばかりをうかがって、部下にはパワハラをさんざん行なって、部下が辞めてしまい、結果的にようやく諸悪の根源のパワハラ上司がクビになるというのはあり得る話。

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2024年9月24日 (火)

長崎雲仙・佐賀周遊旅行2日目(7)迫力のある地獄らしい雲仙地獄、湯快リゾート雲仙東洋館(大江戸温泉物語雲仙東洋館)の夕ごはん。

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さっそく湯快リゾート雲仙東洋館の部屋に入ってみると、手前側は6畳の畳の間。関東の伊東園ホテルズと同様にすでに布団が敷かれている。

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奥は洋間になっており大きめのデスクが置かれている。デスクの色がグレーで事務机みたい。仕事や作業もできるように考えられたシングルの部屋なのかなぁ。

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古いホテルだと和式トイレを洋式トイレに改造したようなホテルと出会うこともあるんだけど、このホテルはユニットバスが入っている。

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夕食前に雲仙温泉を散策することにする。夕方ということもあって人通りは少ないし、開いているお店も少なく、賑やかさで言ったら、小浜温泉の方が楽しそう。

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雲仙地獄を散策してみることにする。道路のすぐ脇から大量の湯気が出ており、地獄度は高い。

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地獄は言われなくても危険だろう。

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有毒なガスだったらかなり危険な地獄。

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ネコがのんびり座っているので有毒なガスではなさそう。地熱でここが暖かいんだろうなぁ。

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温泉地の地獄をいくつか見てきたけど、噴出量としてはけっこう迫力がある地獄かもしれない。

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一番奥にある邪見地獄まで歩いてくる。

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邪見というのは、人をねたむ、みにくい心のことです。この温泉のお湯を飲むと、夫婦や友達の間で生じた、嫉妬心による不和を解消する、といわれています。ところが実際には強酸性の温泉で、とても飲めるようなものではありません。きっと、邪見を捨てる場所ということなのでしょう。コロナ禍で「邪見」という、みにくい心が出て、他者の行動をねたむようになってしまった人たち、他県ナンバー狩りや自粛警察の人たちは、ここに来てお湯を飲んで「邪見」を治療した方がいい。

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よくこんなところに車道を通したなぁと思うくらい、湯気が出ている。

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展望台から地獄を眺めると湯気の噴出量がすごい。

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温泉神社にお参りする。

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夕陽が暖かいんだろうなぁ。ネコが石段の上でくつろいでいる。

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湯快リゾート雲仙東洋館に戻ってくる。このホテル、漫画文庫がなかなかの充実ぶり。

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夕食の時間になったので夕食会場へ向かう。関西の湯快リゾートと関東の伊東園ホテルズとの違いは、アルコールは基本料金のバイキングには含まれていない。

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この時期のバイキングはマスク、ビニール手袋着用。料理の上にカバーがかけられているけど、カバーはコロナ禍が終わってからもずっとあってもいいかも。

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チーズフォンデュコーナー。

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お寿司のコーナー。

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ふと気がついたことは、混雑すると思っていた開始直後のバイキング会場が空いている。まだ新型コロナウイルス感染症の影響を受けているのか、宿泊者数がものすごく少ない?自粛の影響をまだ受けている?他者の視線を気にして旅行に行けない?いつまでも「不要不急の外出なんてけしからん」と他者の行動を妬む心を持っている人は、雲仙地獄の邪見地獄のお湯を飲んで治療した方がいい。

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新型コロナウイルス感染症の影響で海外旅行に行けなくなってから国内のホテルに多く泊まるようになって感じていることは、ビュッフェ形式の夕食は宿泊費が中くらいのホテルでも、安めのホテルでも大きくは変わらない気がしている。さすがにそれ以上のホテルとなると美味しいと感じるホテルもあるけど。まぁ、その時に食べたいと思ったものを食べればいい。

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ということで、食べたいものを選ぶとビールのおつまみ系になってしまう。チェーン店の居酒屋のおつまみと考えれば十分に美味しい。夕ごはんなんて、これで十分じゃない?

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冬のごちそうフェアで「創作ひとり鍋」コーナーがあり、自分で鍋を作れるコーナーがあるのはいいかも。

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一応、郷土料理のコーナーもあるんだけど、長崎の場合は皿うどんが置かれている。夕食会場が空いていたので、ゆっくりと食べたいものを食べる。そして、伊東園ホテルズも湯快リゾートも大江戸温泉物語も同じことなんだけど、建物は古いんだけど、温泉だけは間違いなく本物なので、ゆったりと温泉を楽しむ。

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