長崎雲仙・佐賀周遊旅行3日目(3)お昼ごはんは、まだ知らない島原名物「具雑煮」と「かんざらし。」
原城跡から日産ノートで島原市内に向かう。そろそろお昼ごはんの時間なので、名物料理を検索すると「具雑煮」という料理が名物らしいので、島原城前の「姫松屋本店」に行ってみることにする。
けっこう大きなお店。島原名物具雑煮って、なんだろう?コロナ禍で海外旅行に行けなくなって、国内旅行をするようになってから、まだ知らない料理、まだ知らない味が日本国内にもたくさんあることに気がつく。
具雑煮の由来は天草四郎がもちを兵糧として蓄え、山や海から様々な材料を集めて雑煮を炊き、栄養をとりながら3ヶ月も戦ったと書かれている。確かに、写真で見ても具沢山で美味しそう。レンタカーの旅はビールが飲めないので、食事には多少お金をかけてもいいから具雑煮定食の松と竹で悩んでいると、とても正直な店員さんが違いを教えてくれて、売れ筋は竹であることを教えてくれたので、具雑煮定食の竹を注文する。
ビールが飲みたくなるおかずたち。雑煮にごはんがついてくるんだけど、お刺身を含めておかずがいっぱいあるから、炭水化物どうしだけど矛盾しない。
メニューの中で、まだ知らない「かんざらし」というデザートを発見して注文してみる。白玉に蜜がかかった素朴なメニューだけど、そんなに甘くない蜜と白玉が美味しい。
レンタカーをちょっとだけ動かして、姫松屋の目の前にある島原城に入る。もちろん再建天守だけど、建造時を再現しているとすれば石高に対して五階建ての天守閣は立派すぎる。すでに学習している通り、財政が豊かな国だったからではなく、その原因は松倉重政が見栄っ張りだったから。石高に見合わない巨大な城をつくるために農民から過大な年貢徴収を行い、島原の乱が発生する要因となる。
内部は博物館になっており、ここでもキリシタンに対する雲仙地獄での拷問、迫害が展示されている。私は、ここにくる前は、島原の乱=キリシタンの迫害というイメージだったんだけど、旅をしてみてわかったことは、主原因は松倉重政・勝家親子による悪政だったことがわかる。この石高に比べて豪華な島原城がその象徴。
今日は曇り空。雲仙岳には雲がかかっている。西三重櫓も再建されたもの。
「島原大変肥後迷惑」というネーミングがすごいけど、1792年に雲仙岳の火山性地震と眉山の山体崩壊により、土砂が一気に有明海に流れ込む。そのために津波が発生し、15000人が犠牲となった。「迷惑」というのは、肥後まで津波が来たことを指すのだろう。
武家屋敷通りには島原城から歩ける距離だけど、クルマで向かう。車の旅の欠点は、ポイントとポイントの間の移動を「歩き旅」だと感じられるけど、クルマだとポイントとポイントを結ぶだけで素通りになってしまう。
街路の中央には水路がある。湧水を引いたもので生活用水として利用されていた。今でも、その水路が残されている。
山本家は、深溝松平家の松平忠房に家臣として宇都宮移封、再度の島原への移封に随行した。建物としては幕末の明治元年の建築となっている。屋根は藁葺き屋根となっている。
なかなか風情のある通りだと思うけど、平日だからか観光客の姿が見られない。これだけ、武家屋敷の雰囲気を残している通りは大したものだと思うし、もっと有名になってもいい。
山本邸の向かいに立つ建物は篠塚邸と書かれている。篠塚家も深溝の出身で、深溝松平家に随行してきた家。
少し離れたところにあるのが鳥田邸。鳥田家も深溝松平氏に随行してきた。このあたり一体は、中級・下級武士の団地のようなもので、面積や建物は似通っている。瓦と藁葺きの組み合わせが面白い。
街路の中央の水路、藁葺きの屋根、石垣などは歴史を感じられる。
ものすごく風情がある通りだと思うけど、まぁ事前に調べない私が悪いんだけど、ここへ来るまでこんなに風情がある通りがあることなんて知らなかった。近くにある観光スポットとして立ち寄ってみたけど、最初からこの風景知っていて、見ようと思ってここに来たわけじゃない。
風情ある島原の武家屋敷通りは実際に歩いて感じた必見スポット。風情を感じられる必見スポットて、日本国内でも私がまだ知らないだけで、山ほどある。基本的に私は旅の目的地がないと旅行を組まないんだけど、もしかしたら私が意図しない場所にこそ、まだ知らない発見が隠れているのかもしれないなぁ。
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