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2026年1月 1日 (木)

夏の北欧三都物語 2日目(2)エストニア、タリンのバスは現金不可。

Bonne année !

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メルキュール・ホテル・タリンをチェックアウトするときにホテルのレセプションで旧市街に向かうにはどういったらいい?と聞いたら、ホテルの目の前のバス停から2番バスに乗るように言われる。空港に戻ってトラムで行こうと思っていたんだけど、バスをチャレンジしてみる。

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路線図を見てもよくわからない。今回、「地球の歩き方北欧2025」を新調したんだけど、エリア外のタリンの情報はヘルシンキからのエスカレーションとして見開き2面、4ページしか情報がない。地図は旧市街のものしか掲載されていない。

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エストニアの通貨はユーロで運賃は2ユーロだということはわかる。チケットはトラベルカード、オンラインのQRチケット、BANKカードとなっており、直接現金という選択肢はない。BANKカードというのはなんだろう?と思ってマークから見ると、コンタクトレス(タッチ決済)のクレジットカードで乗れるみたい。

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2番バスが近づいてきた。

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無事にタッチ決済で支払い完了。すでに日本の公共交通機関でも使えるところもあるけど、もうコンタクトレス・カードの時代。路線バスにはUSB給電ポートがある。これが日本だったら、高齢者を中心に「現金が使えないなんてけしからん!」という人たちがいて、政治家もおじいちゃんで新しいことには保守的なので、公共交通機関のキャッシュレス化は難しいだろうなぁ。

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バスは貸切状態。

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タリン空港から旧市街まではそんなに距離はなく、すぐに市街地になる。GoogleMapを見ながら、どこのバス停で降りれば良いのかを確認する。

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旧市街に近そうな自由広場“Vabaduse väljak”でバスを降りる。

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トラムの奥に見えるのは聖ヨハネ教会“Tallinna Jaani kirik”。19世紀の1867年に完成したネオゴシック様式の教会。

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自由広場に向かうために信号待ち。奥には聖チャールズ教会の鐘楼が見える。

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このハトのような石の置物はなんの意味があるんだろう。

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旅行記にする時にあとから調べてみると、歴史的な出来事や人物について学ぶことができるとの、私は銅像やモニュメントがけっこう好きかも。自由広場に立つこのモニュメントは、エストニア独立戦争戦勝記念碑“Vabadussõja võidusammas”で、2009年に建てられた。1917年のロシア革命翌年の1918年にエストニア共和国の独立を宣言するが、ソ連軍との独立戦争が勃発。そして1920年にソ連軍を撃退してエストニアの独立を勝ち取ることになる。この場所にはかつてはピョートル1世の像が立っていたが1922年に広場から撤去された。

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バスを降りた時に見えた聖ヨハネ教会を正面から見ると中央に鐘楼がある。

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タリンの港から見れば裏側からタリン旧市街観光を始めることにする。タリン旧市街の中央部分はトームペアの丘“Toompea”になっている。この丘が要塞の役割をしていたんだろうなぁ。この階段の左側もかつてはイングリア要塞“Ingeri bastionile”と呼ばれる要塞で、19世紀にその役割を終えてハルジュマエ公園“Harjumäe park”と呼ばれている。この階段は、マイヤー階段“Mayeri trepp”またはハルジュマエ階段“Harjumägi trepistik”と呼ばれている。

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坂を上がっていくと1483年に建てられた大きな塔“Kiek in de Kök”が見える。

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銃眼(狭間)がある塔が見えるので、この丘は高い城壁に囲まれた軍事的な要塞。タリンという地はスウェーデンだったり、ロシアだったり、支配者は変化しているけど、港のある交易そして交通の要衝だったからこそ、ここに要塞都市が築かれたんだろうなぁ。

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この塔が立つ位置は、城塞都市タリン旧市街の南端にあたり、陸側からの侵攻を見張る役割があったんだろうなぁ。

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エストニアという国がスウェーデンやロシアなどの大国に支配されていることがわかるのは、坂の上に立つアレクサンドル・ネフスキー大聖堂“Aleksander Nevski katedraal”。帝政ロシア占領時代にエストニアの英雄カレヴィポエグ“Kalevipoeg”の墓があるとされるトームペアの丘に建てられた。

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建築時はロシア正教会の教会で、1894年から1900年にロシア復興様式で建築された。1900年の建築なので、そんなに古いものでもない。エストニアが独立した1918年には、支配されていたロシアが建てたこの教会を移転する計画もあったらしい。

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私はロシアの建築様式には詳しくないんだけど、ロシアの教会といえば玉ねぎ型のドームの印象。

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正面のファサードはイコンかな。教会への入場は後回しにして、まずはタリン旧市街が一望できる展望台を目指すことにする。

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ヨーロッパの「城」というと要塞のような場合と宮殿のような場合があるんだけど、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂の反対側にはトームペア城“Toompea loss”が立っているけど、東側から見たトームペア城は宮殿という感じの雰囲気。18世紀にスウェーデンからロシア帝国に支配者が変わった際に、ロシアによって建てられたもの。その時代はすでに軍事的な「要塞」である必要はなかったのかもしれない。

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大聖堂の入場観光は後回しにしてまずはタリンの街の雰囲気を感じたくて展望台を目指す。カラフルだけどパステル調の色合いの壁の家がなかなかいい。

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タリン大聖堂(聖母マリア教会)“Tallinna toomkirik”はデンマークやドイツ騎士団による北方十字軍占領時代の1240年に完成した歴史ある建物。大聖堂という名前のわりには、さっきのロシアが建てたアレクサンドル・ネフスキー大聖堂の方が大きい。まぁ、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂はロシアの威信を見せつけようと建てられたものだろうから、大きくつくられたんだと思うけど。

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ロシア正教会のアレクサンドル・ネフスキー大聖堂よりも小さいけれど、玉ねぎ型ではなく、とんがり屋根の鐘楼がタリンの教会のスタイル。さらに展望台を目指してトームペアの丘を歩く。

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