2024春のイタリア北部とサン・マリノ紀行 3日目(13)ラヴェンナ、圧巻のサンタポッリナーレ・ヌオーヴォ聖堂のモザイク画。

サン・フランチェスコ聖堂の前はサン・フランチェスコ広場“Piazza San Francesco”は、1679年に作られ、1930年代に右側にあるリナルド・ダ・コンコレッツォ庭園“Giardino Rinaldo da Concorezzo”とともに現在の姿になった。

もう夕方に近くなっているし閉店準備という感じだけど、小さなメルカートが開かれている。露天のパン屋さん。

でも、少しだけでもその地の生活を感じられるので、メルカートを見つけたら、のぞいてみなくちゃ!

プンタレッラ“Puntarelle”はカッコの中で書かれている通り、チコリの新芽。食べたことないなぁ。

ラディッチ“Radicchi”と書かれているのは見た目もチコリ。

左側のブロッコロ・フィオラーロ“Broccolo Fiolaro”は、名前の通りブロッコリーの一種で花をつけている。いつもイタリアのメルカートで感じることだけど、イタリア野菜って食べたことのないものがけっこうある。

共通券で入場できる最後のモザイク、サンタポッリナーレ・ヌオーヴォ聖堂“Basilica di Sant'Apollinare Nuovo”

ファサードしか残されていない建物は、テオドリック宮殿“Palazzo di Teodorico”。名前がつけられているテオドリックは東ゴート国王で、ラヴェンナにはテオドリック廟もある。

鐘楼があるサンタポッリナーレ・ヌオーヴォ聖堂に到着。この教会はもともと6世紀初頭に東ゴート国王テオドリックによってアリウス派の聖堂として作られる。その後540年にラヴェンナは東ローマ帝国領となり、宗派の異なるアリウス派を想起させる装飾は修正されることになる。

教会の内部に入るとコリント様式の柱頭を持つ柱があり3つの身廊に分けられている。そして、中央身廊の両側はモザイクで覆われている。

後陣は、8世紀の地震によって破壊されたのちに再建されたために、モザイクはない。

身廊左側のモザイクを見ると、最上部は聖書の場面が表されており、最下部は殉教者が並んでいる。左側は22名の聖女(殉教者)となっている。

左側のモザイクを眺めていくと、軍港だったクラッセ港“Classe”と船が見える。クラッセ港から聖母子に向かう参列ということになる。

右側のモザイクの最後にはテオドリック宮殿が描かれており、王宮からイエス・キリストのもとへの参列となる。

今回のラヴェンナのモザイクで感じたことは、ドームの表現の美しさだったんだけど、さすがにサンタポッリナーレ・ヌオーヴォ聖堂は大きいので、モザイクの装飾ではない。

教会の入口部分は装飾がないどころかレンガが見えている。扉の大きさも修復されたものだろう。第一次世界大戦時に爆撃を受けて破壊されており、その影響かもしれない。

鐘楼は9世紀から10世紀に作られたもので、テオドリックの時代ではない。これで、共通券で見ることのできる5つのポイントの見学を終了。オンタイムでは、十分に満喫していたし、私はドームの天井に描かれたモザイクの美しさにすっかり魅了されている。旅行記を編集する時になって、サンタンドレア礼拝堂の「戦うキリスト」のモザイクを見落としたのかもしれないと困惑することになるけど。

共通券の5つのモザイクを見るだけだったら、ラヴェンナは半日観光で十分。結果的に、ちょっと早足だったものの、サン・マリノとラヴェンナのセットで1日観光は十分楽しめる。

駅に向かう時に、列車の出発時刻まで時間があるので、434年に完成したサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会に入ってみることにする。

構造としてはサンタポッリナーレ・ヌオーヴォ聖堂に似ている感じだけど、木造の屋根組みがよくわかる。
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