長崎雲仙・佐賀周遊旅行3日目(2)世界遺産「長崎と天草地方の潜在キリシタン関連遺産」の原城跡へ。
南島原市有馬キリシタン遺跡記念館でキリシタンの歴史を学んだあとは、島原の乱で一揆軍が籠城をしたという原城跡へ。原城跡の近くまでいったんは来たんだけど、駐車場がわからなくて、駐車場の看板をたどりながら海沿いにある温泉施設まで来てしまう。原城跡の前から、この駐車場までは結構な距離があったけど、原城はかなり大きな城だったのかもしれない。何しろ、幕府軍も攻略に苦戦したくらいだから。
駐車場の案内にしたがってクルマを駐車したんだけど、温泉施設「原城温泉 真砂」の駐車場だったのかな?まぁ、帰りに温泉を利用してもいいかも。
せっかく立ち寄ったわけだし、ここで温泉に入ってもよかったんだけど、本日は残念ながら休館日。
原城温泉から原城の本丸を目指して、まずは坂道をあがる。人工的に作られた切り通しなのかなぁ。
坂を上がると、原城の大手口跡があったとの案内板があるんだけど、そもそも廃城となった城であり、島原の乱で破壊されただろうから痕跡はない。原城温泉からの坂道は当時からあったということなのかな。
大手口跡をすぎるとそこは三ノ丸跡だけど、畑や野原が広がっているだけで、土塁などが残っているわけではなさそうなので、よくわからない。一つだけ感じることは、原城はかなり大きな城だったということ。
この近くには幕府軍の総大将である板倉重昌碑がある。1683年元旦に原城総攻撃の際に原城のこの場所で戦死した。幕府軍の総大将が戦死するって、一揆軍は強力だったんだろう。
まだまだ本丸は遠い。前方の右手が高台(丘)になっていることがわかる。ここが三ノ丸だとしたら高台がおそらく二ノ丸。自然地形を利用して、二ノ丸と三ノ丸が作られていたのかも。
玉ねぎ畑が広がっており、ここが城址だと言われなければわからない。
このあたりが二ノ丸跡らしいんだけど案内板でしか確認できない。おそらく、三の丸よりも一段高い位置であることはなんとなく感じられる。
この円形状のくぼみは原城の遺構なのかなぁ?二ノ丸、三ノ丸は石垣ではなく地形をうまく利用した土の城だったようなので、自然地形をうまく利用していたのかもしれない。でも、土肌が露出しているように見えるので、最近のもの?
ようやく本丸が見えてきた。本丸は高台にあり、お城らしさを感じるんだけど、手前側には玉ねぎ畑が広がっている。海に向かって低地になっている。
本丸の海側は急な崖になっている。本丸は明らかに丘の上にありお城を感じることができるかも。
本丸の前には空堀があり、石垣も見える。部分的に石垣が残っている。
本丸は石垣が作られているけど、現存するものはそんなに高い石垣ではない。
本丸正門跡は、右側に直角に曲がっているのがわかる。かつては櫓門があったのだろう。
さらに進むと本丸にたどり着く最後の門である本丸門。こちらも右側の直角に曲がっている。かつては防御するための櫓門が建てられていたのだろう。
本丸に入ると、広い平地が広がっている。このあたりが櫓台跡(天守台跡)。築城された時には三層の櫓(天守閣)が建っていたと言われている。
海側は急斜面で、山側も自然地形をうまく利用している。部分的に石垣が残っているけど、当時の高さがわからない。
海面から考えると、けっこうな斜面で、下から攻めてくれば、返り討ちに遭うだろう。
民家の石垣の中にあったものを移設したもの。15歳の若さで一揆軍の総大将として一揆軍を率いた。天草四郎は小西行長の家臣の子であることから、一揆軍には小西行長や有馬晴信の旧臣もいたんだろう。さすがに武士がいなければ、幕府軍とここまでは戦えない。
本丸の一番奥の海が眺められる場所には、十字架のモニュメントが建てられている。海沿いの高台にあるので、晴れていれば美しい海の風景が見られるだろうけど、この地では一揆軍37000人全員が命を落としたと言われている。迫害を受けていたのがキリシタンであったことは原因のひとつではあるものの、今回この地で学んだことは、いかに松倉重政・勝家親子による悪政が酷かったか。幕府を会社の本部と例えれば、中間管理職である藩主が自分の功績を社長に認めてほしくて、売上を過大に報告し、社員を酷使しすぎてとうとう社員から反発を受ける。そして、全員社員が会社を辞めてしまったら、誰が業務を行うのか。農民がいなければ、年貢を厳しく取り立てるどころか耕作する人がいなくなってしまう。
でも、現代でも部下や同僚を犠牲にしてでも自らの「手柄」をアピールする人はいるので、似たようなことが起きてもおかしくないかもしれないなぁ。天草四郎像は、天に祈りを捧げている。
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