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2024年10月15日 (火)

長崎雲仙・佐賀周遊旅行4日目(1)ドイツ・ドレスデンのツヴィンガー宮殿を再現した有田ポーセリンパークへ。

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2022年1月12日、水曜日。佐賀県にある嬉野温泉、湯快リゾート嬉野館で迎える朝。これで佐賀県は私にとっての「未宿泊県」を脱することになる。早起きして大浴場で朝風呂を楽しんでから朝食レストランへ向かう。

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時間が早かったのか空いている。

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冬のごちそうフェアとして朝から卓上コンロでの焼き物「みそ煮込み」がある。あれ?雲仙では見落としたかも。

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十分に種類がある朝ごはん。

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朝から、卓上コンロでの「みそ煮込み」も楽しい。

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朝ごはんを食べ終わり、部屋に戻る。よく見るとため池なんだけど、水のある風景はいいかも。

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鏡面反射した空の風景がなかなかいい。

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外観はレトロな感じだけど、改装されていると思うんだけど、内装はなかなかの温泉ホテル。

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ホテルの前には足湯がある。

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タオルも用意されている。2022年1月、この時期ならではの案内が掲示されている。「外来足湯利用の中止のお知らせ」で「当館足湯はご宿泊のお客様専用でございます。(近隣住民のお申し出を受け、嬉野警察署へ相談の上で決定致しました。ご理解の程よろしくお願い致します。)」と書かれている。間違いなく、ごく一部の自粛警察、他県ナンバー狩りの影響だろう。温泉街の湯宿広場の足湯やシーボルトのあし湯は閉鎖されていないので、温泉街から離れているここまでわざわざ足湯を楽しみに来る人はいないと思うけど。近隣住民と言っても、湯快リゾート嬉野館は市街地からちょっと離れていて、周囲はため池と寺に囲まれていて、民家は隣接していない。守るべきは感染症対策なのに、政府とマスメディアによる「不要不急の外出の自粛」のプロパガンダを信じてしまい、目的が感染症対策ではなく「不要不急の外出」を取り締まることにすり替わってしまい、遊びに来ている人は「けしからん」となってしまった一部の人たちがいた証拠のようなもの。きっと、そのような人たちは、観光客をキリシタンの拷問のように雲仙地獄に突き落としたい気分だろうけど、他人の行動が気になるなら、自らが「人をねたむ、みにくい心」である「邪見」を治療するために雲仙温泉の邪見地獄でお湯を飲んだ方がいい。

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佐賀県の観光をしないのももったいないので、今日は有田に行って、佐世保で佐世保バーガーを食べて長崎空港に向かう予定。

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Googleマップを見ると、嬉野温泉から有田に行く途中に「有田ポーセリンパーク」があるので立ち寄ってみることにする。山の中に現れたのはツヴィンガー宮殿。

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入場料無料のわりに、ドイツ・ドレスデンにあるツヴィンガー宮殿を再現したものだけど、確かにヨーロッパの宮殿はよくできている。この写真だとヨーロッパで撮った写真だと言ってもわからないだろう。新型コロナウイルス感染症の影響で展示室は閉鎖されており、外観しか見ることができない。

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なぜ有田にツヴィンガー宮殿かというと、ドレスデンにある本物のツヴィンガー宮殿は、ドイツ・ザクセン選帝候(せんていこう)でありポーランド王でもあったアウグスト王によって18世紀に建てられた。当時はヨーロッパに磁器はできず、中国や日本からの磁器が貴族によって集められた。そのアウグスト王の命によって、マイセン陶磁器が生まれる。そのため、マイセンの陶磁器は、初期は中国や日本の伊万里の影響を受けているという。現在ではマイセンと有田は姉妹都市となっている。

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バロック庭園もよく整備されている。しかし、このテーマパーク、庭園だけでも維持費は大変な額になりそう。ツヴィンガー宮殿だって維持費はかかるだろうし、焼き物体験と売店くらいしかオープンしておらず、良心的で入場料も取らないとなると、運営は厳しいんじゃないかなぁ。日本でヨーロッパ風の写真を撮れるスポットとしてはおもしろいけど、それ以外は売店と有田焼工房での焼き物体験しかメニューがないので、テーマパークとしてわざわざここに来るかというと厳しいかなぁ。

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写真を撮ってトイレに行っただけで「有田ポーセリンパーク」を去って次の目的地へ。せっかく、立派な宮殿があるのに、テーマパークなのに「テーマ」がよく見えないのが本当にもったいない。でも、入場料無料なので写真を撮るために立ち寄るのは価値がある。そして、私はドイツ旅行には20年以上行っていないので、ドレスデンで本物のツヴィンガー宮殿を見に行くのも面白いかなぁと思い始めている。でも、地図を見るとドレスデンはミュンヘンからもフランクフルトからも遠いのでなかなか行きづらい位置。5日間の旅程で行くには行きづらい場所かも。プラハから行ったほうが近いかなぁ。

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私は陶磁器の知識が全くないので、有田にある佐賀県立九州陶磁文化館で学ぶことにする。

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有田焼は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に朝鮮から連れてこられた陶工が、陶石を有田の泉山で発見し、磁器の製造が始まる。最初の頃は、輸入されていた中国の磁器の影響を受けている。

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1644年、中国の明が滅亡し、中国からの輸入が少なくなり、中国製磁器を代替する形で国内の磁器市場を独占するようになり、1647年ごろからは輸出するようになる。中国国内の混乱に伴い陶工が日本に避難し、中国からの技術を取り入れ、赤、黄、緑の色彩を使った「色絵」の製品が登場する。色は感じるけど、素朴な感じ。

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江戸時代になると、白地の余白を生かした構図となる。この時代にドイツ・ザクセン選帝候アウグスト王などのヨーロッパ貴族によって、有田焼の収集がブームとなる。

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絵柄もシンプルで普段使いができるような感じ。

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面白いのが、次の年代は白地が見えないほど文様を描く作品が出てくる。1710年にアウグスト王の命によってマイセン磁器が誕生する。このあたりの歴史が「有田ポーセリンパーク」が作られるつながりとなったのだろう。

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美しい器だけど、普段使いには難しそう。ウィーンの王宮などの海外で見かける有田焼はこんな感じかも。

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そして19世紀の幕末から明治期にかけて、1867年パリ万博や1873年ウィーン万博に出品され、有田焼が輸出されるようになり、その際の包装紙として浮世絵が使用される。

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この有田焼が輸出される際の包装紙がゴッホやモネ、ルノワールなどに影響を与え、ジャポニズムのブームがヨーロッパで起きることになる。

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