長崎雲仙・佐賀周遊旅行2日目(4)長崎観光定番のグラバー園から長崎港を眺める。
大浦天主堂のあとは、そのまま長崎の定番観光コースであるグラバー園へ向かう。
たぶん20年くらい前にも来ていると思うんだけど何も覚えていない。旅行って、どんどん記憶が薄れていくので、まだ覚えているうちに旅行記に記録しておくようにしている。私の旅行記は誰かに伝えたいという気持ちもあるけど、自分自身の記憶が薄れないうちに記録しておくという意味も強い。だって本当に旅行の記憶って年月が経つと頭の中からどんどん薄れていく。もうひとつの目的は、旅行記としてまとめる時にあまりにも薄っぺらい記事にならないように、自分が訪れた場所をあとからちゃんと調べることになる。実際に自分が訪れた場所がどのような歴史があるのかについて少しでも復習すると旅の記憶が深くなる気がする。そのために、今はアクセス数を稼ぐためには動画の方が流行っているけど、もうオワコンであるブログに自分自身の記録のためにまとめている。タイムパフォーマンス重視の時代に私は飛行機に乗る前から記録を始めるし、観光名所と観光名所の間を伝える私の旅行記のスタイルは、時代遅れであることにはとっくに気がついている。
丘の上にあるので、最初にエスカレータで最上部に上がって坂を降りながら見学をするという仕組みはとてもいい。
最上部にあるのは旧三菱第2ドックハウス。名前の通り、1896年に三菱造船所の第2ドック建設時に建てられたもので、外国人乗組員用の宿舎。1972年にグラバー園に移築された。東山手地区の洋館を見てきたけど、この時代の洋館はベランダが特徴なのかと勝手に思っている。
建物の前には池があり、錦鯉が泳いでいる。グラバー園、派手なアトラクションはないみたいだけど、のんびり洋館を見ながら散策できる。
第2ドックハウスの2階からは長崎港が見渡せる。対岸に見えるのは稲佐山。晴れていると眺望が素晴らしい。丘の上から見る風景を見るだけのためにグラバー園に来ても価値がある。
順路通りに建物を巡ることにする。まずは旧ウォーカー住宅。洋館とあって、暖炉の煙突がわかる。でも、屋根の瓦は日本らしい感じ。
居間は、部屋が四角くなく、窓側に突き出している。窓からは光が入り、明るい部屋。
反対側にあるのは、旧長崎地方裁判官長官舎。1883年の建築で、当時は官舎にも西欧化の波が来ていたことを感じられる。玄関の屋根は日本っぽい。
グラバー園は海を感じながら見学できる。長崎造船のドックが見える。
次はリンガー邸。この建物は1868年(明治元年)にこの地に建てられたもので移築ではない。平屋建てだけど、庭を見渡せるベランダがやっぱり特徴的。
そして、庭の奥には長崎湾が見える。移築ではないので、ベンチに座って、海を見ながら過ごすのはなかなかいい。
おそらく、リンガーハットの「リンガー」は、フレデリック・リンガーからとったものだと思われるけど、この住まいにはリンガーハットのお店の建物にあるような鐘楼はない。
その次は、旧オルト邸で、こちらは1865年(慶応元年)の建築で移築ではないのでこの場所に建てられた。ギリシア建築のような玄関。玄関の前には噴水がある。ベランダは木に覆われている。
すべての洋館の特徴は、ベランダ。旧オルト邸のベランダも広く、木に覆われているので夏でも涼しそう。
どの洋館もベランダのベンチに座って、ぼーっと庭を眺めていたい気分になる。
一番奥にある建物は1887年に建てられた旧スチイル記念学校。スチイル記念学校は、東山学院なったのちに明治学院に合併となり、建物は長崎公教神学校、東陵中学校、海星学園と変遷していったのは、すでにオランダ坂の「市旧居留地私学歴史資料館」で学んだ通り。
旧自由亭は、1879年の建物で、西洋料理店「自由亭」として使われていたが、閉店後は検事正官舎として使われた。グラバー園では自由亭喫茶室として、カフェ、レストランとして利用できる。
オペラ歌手として活躍した三浦環の像がある。ヨーロッパでオペラ「マダム・バラフライ(蝶々夫人)」を演じて名声をつかむ。そして、蝶々夫人の舞台は長崎。
少し離れたところにある白い像は、オペラ「蝶々夫人」を作曲したジャコモ・プッチーニ像。
順路に従って坂を下ると平屋建ての大きな洋館が見えてくる。暖炉の煙突が何本か見える。
1863年に建築された旧グラバー邸。1859年に来日したトーマス・グラバーは、グラバー商会を設立し、日本からは茶葉や生糸の輸出、輸入品では武器の販売を行った。
グラバーと日本人妻との子である倉場富三郎が第二次世界大戦までここに暮らした。グラバー園、アトラクション的なものはなく、洋館を見て歩くだけなんだけど、ここから見える長崎港の風景も美しく、旧リンガー邸や旧オルト邸、旧グラバー邸などは移築ではないのでこの地に立ち続けていることから、長崎開港からの風景を想像できる気がする。
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