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2024年9月

2024年9月27日 (金)

長崎雲仙・佐賀周遊旅行3日目(1)天草の乱の原因はパワハラ上司?南島原市有馬キリシタン遺跡記念館でキリシタンの歴史を学ぶ。

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2022年1月11日、火曜日。雲仙温泉、湯快リゾート雲仙東洋館で迎える朝。すでに早起きして大浴場で朝風呂を楽しんで、朝食会場へ向かう。

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朝食会場は空いており、のんびりと料理をとることができる。やっぱり、宿泊客が少ないんだと思う。

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座席も空席が目立つ。

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珍しいものはあまりないんだけど、十分な種類のおかず。

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そして「島原そうめん」のコーナーがあって、私は島原のそうめんが名産品だということを今日まで知らなかったんだけど、具材をたっぷり入れたそうめんが美味しい。

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なぜか温泉まんじゅう。

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最後はコーヒーにヨーグルト。

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大きめの売店もあるし、かつては賑わっていたんだろうなぁ。

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ロビーも広い。マスメディアは毎日陽性者数の報告をし続けており、当時は沖縄で感染爆発というようなニュースが流され続けており、まだ新型コロナウイルス感染症の影響を強く受けており、温泉も食事会場も空いていたけど、2024年の今はきっと賑わいを取り戻しているだろう。

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湯快リゾート雲仙東洋館をチェックアウトして、これから島原半島の観光を始める。湯快リゾートも建物は古いんだけど温泉は本物なので、なかなかいいじゃん。今日の目的地は、最終的には佐賀県の嬉野温泉。しかも嬉野温泉で宿泊する予定のホテルは、またしても湯快リゾートの嬉野温泉嬉野館(大江戸温泉物語嬉野館)。これで、未宿泊県の佐賀県をクリアする予定。

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今日は日産ノートでロングドライブ。まずは世界遺産「長崎と天草地方の潜在キリシタン関連遺産」の原城址方面に向かう。

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雲仙温泉から南島原市方面に山を下っていく。後続車がいないので写真を撮るために一旦停止。

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原城址に行く前に「南島原市有馬キリシタン遺跡記念館」に立ち寄ってみる。

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そもそも、私はキリシタンの歴史について断片的にしか知らないので、原城跡に行く前に学ぶことにする。

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南蛮衣装が飾られている。1549年のキリスト教伝来以降、南蛮貿易との見返りとして、また大名自身もキリスト教に入信するものもいた。九州のキリシタン大名である大友宗麟(義鎮)、大村純忠、有馬晴信の名代として1582〜1590年に天正遣欧少年使節がローマに送られることになる。

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キリシタン大名である有馬晴信によって1580年にキリスト教の教育機関である有馬セミナリヨが設置され、場所の変遷はあるものの1611年までは継続しておりキリスト教が学ばれていた。また、高等教育機関であるコレジヨも設置されていた。そのセミナリヨで学んだ第1期生の4名が天正遣欧少年使節としてローマ教皇に謁見することになる。豊臣秀吉がバテレン追放令を出すのが1587年(天正15年)なので、セミナリヨが1611年まで継続していたとすればバテレン追放令後も継続していたことになる。

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有馬晴信の時代は戦国時代なので龍造寺隆信の台頭により厳しい状況に置かれていたが、島津氏と通じて龍造寺隆信を1584年沖田畷の戦いで滅ぼす。その後も秀吉に仕えて文禄の役に参加、関ヶ原の戦いでは徳川方の東軍につき本領安堵となる。1604年には手狭になった日野江城の支城として原城を完成される。また朱印船貿易により利益をあげるなど繁栄する。

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ところが、1609年マカオで乗組員が殺害される事件が発生し、その報復として有馬晴信は長崎港でポルトガル船を沈没させる。その褒章を巡って、幕府老中の岡本大八と金銭的なトラブルになる。一連の調べの過程で、幕府によって有馬晴信は甲斐国に流罪ののちに切腹の沙汰が出る。キリシタンであった晴信は自害せずに家臣に斬首させる。息子の有馬直純は事件とは無関係のためにそのまま所領を引き継ぐが、1614年に日野江藩(島原藩)から日向国延岡藩に加増転封となる。その後、1616年に松倉重政が大和国五条藩から移封となり島原藩に入るところから悲劇が始まる。

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1618年、一国一城令に従い、日野江城、原城を廃城として、新たに島原城を築城する。島原藩の石高に見合わない5重5階の巨大な城を建造する。また、立派すぎる城の建造費をまかなうために、領民からは通常の倍の年貢の取り立てを行い始める。同じ時期に幕府の命に従い、1621年ごろからキリシタンの弾圧を始め、1627年には雲仙地獄でキリシタンの拷問が行われるようになる。さらには、自らの手柄をあげるためにルソン島への出兵、侵略も幕府に提案するようになる。まぁ、部下を犠牲にして、他人を踏み台にしてでも、手柄をあげて出世しようとする人は今でもいるわけで、現代でもあり得ない話ではない。

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1628年ごろから「絵踏み」が行われるようになる。悪政を行った松倉重政は1630年小浜で急死し、子である松倉勝家が2代目藩主となるが、領民に対して父親以上の搾取を行う。

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1633年、天正遣欧少年使節の一員である中浦ジュリアンは小倉で囚われて長崎で穴吊るしの刑によって殉教する。

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翌1634年は悪天候と干ばつによって凶作となるが松倉重政は容赦無く年貢を取立てた。そのような悪政によって耐えかねた領民たちは、ついに天草四郎を大将として1637年10月に島原の乱が勃発することになる。ここで資料を見て学んだことは、原因としては徳川幕府によるキリスト教弾圧も要因ではあるけれど、松倉重政・勝家親子の悪政が主原因であるということを学ぶ。この資料館では解説はされていないけど、小西行長の領地であった天草でも寺沢弘高による悪政が行われていた。

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原因は松倉重政・勝家親子による悪政に対する一揆だけど、たまたま有馬晴信の時代にキリスト教の布教があって、領民にもキリスト教が布教されていた。徳川幕府による全国的なキリスト教弾圧の流れを含めて、キリシタンの団結力が強かったのだろう。

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一揆軍はすでに廃城となった原城に籠城することとなる。

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幕府軍は包囲し兵糧攻めを行い、兵糧や弾薬が尽きてきた1638年2月28日に幕府軍が総攻撃を仕掛け、原城に籠城していた37000人全員が亡くなったと言われている。島原の乱後には領民がいなくなってしまったために、幕府は農民移民を命じることになる。また、松倉勝家は、一揆の責任と問われ、改易の上で斬首となる。大名が切腹ではなく斬首となったのは、松倉勝家の1件のみとされている。現在でも、社長の顔色ばかりをうかがって、部下にはパワハラをさんざん行なって、部下が辞めてしまい、結果的にようやく諸悪の根源のパワハラ上司がクビになるというのはあり得る話。

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2024年9月24日 (火)

長崎雲仙・佐賀周遊旅行2日目(7)迫力のある地獄らしい雲仙地獄、湯快リゾート雲仙東洋館(大江戸温泉物語雲仙東洋館)の夕ごはん。

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さっそく湯快リゾート雲仙東洋館の部屋に入ってみると、手前側は6畳の畳の間。関東の伊東園ホテルズと同様にすでに布団が敷かれている。

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奥は洋間になっており大きめのデスクが置かれている。デスクの色がグレーで事務机みたい。仕事や作業もできるように考えられたシングルの部屋なのかなぁ。

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古いホテルだと和式トイレを洋式トイレに改造したようなホテルと出会うこともあるんだけど、このホテルはユニットバスが入っている。

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夕食前に雲仙温泉を散策することにする。夕方ということもあって人通りは少ないし、開いているお店も少なく、賑やかさで言ったら、小浜温泉の方が楽しそう。

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雲仙地獄を散策してみることにする。道路のすぐ脇から大量の湯気が出ており、地獄度は高い。

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地獄は言われなくても危険だろう。

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有毒なガスだったらかなり危険な地獄。

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ネコがのんびり座っているので有毒なガスではなさそう。地熱でここが暖かいんだろうなぁ。

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温泉地の地獄をいくつか見てきたけど、噴出量としてはけっこう迫力がある地獄かもしれない。

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一番奥にある邪見地獄まで歩いてくる。

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邪見というのは、人をねたむ、みにくい心のことです。この温泉のお湯を飲むと、夫婦や友達の間で生じた、嫉妬心による不和を解消する、といわれています。ところが実際には強酸性の温泉で、とても飲めるようなものではありません。きっと、邪見を捨てる場所ということなのでしょう。コロナ禍で「邪見」という、みにくい心が出て、他者の行動をねたむようになってしまった人たち、他県ナンバー狩りや自粛警察の人たちは、ここに来てお湯を飲んで「邪見」を治療した方がいい。

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よくこんなところに車道を通したなぁと思うくらい、湯気が出ている。

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展望台から地獄を眺めると湯気の噴出量がすごい。

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温泉神社にお参りする。

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夕陽が暖かいんだろうなぁ。ネコが石段の上でくつろいでいる。

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湯快リゾート雲仙東洋館に戻ってくる。このホテル、漫画文庫がなかなかの充実ぶり。

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夕食の時間になったので夕食会場へ向かう。関西の湯快リゾートと関東の伊東園ホテルズとの違いは、アルコールは基本料金のバイキングには含まれていない。

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この時期のバイキングはマスク、ビニール手袋着用。料理の上にカバーがかけられているけど、カバーはコロナ禍が終わってからもずっとあってもいいかも。

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チーズフォンデュコーナー。

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お寿司のコーナー。

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ふと気がついたことは、混雑すると思っていた開始直後のバイキング会場が空いている。まだ新型コロナウイルス感染症の影響を受けているのか、宿泊者数がものすごく少ない?自粛の影響をまだ受けている?他者の視線を気にして旅行に行けない?いつまでも「不要不急の外出なんてけしからん」と他者の行動を妬む心を持っている人は、雲仙地獄の邪見地獄のお湯を飲んで治療した方がいい。

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新型コロナウイルス感染症の影響で海外旅行に行けなくなってから国内のホテルに多く泊まるようになって感じていることは、ビュッフェ形式の夕食は宿泊費が中くらいのホテルでも、安めのホテルでも大きくは変わらない気がしている。さすがにそれ以上のホテルとなると美味しいと感じるホテルもあるけど。まぁ、その時に食べたいと思ったものを食べればいい。

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ということで、食べたいものを選ぶとビールのおつまみ系になってしまう。チェーン店の居酒屋のおつまみと考えれば十分に美味しい。夕ごはんなんて、これで十分じゃない?

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冬のごちそうフェアで「創作ひとり鍋」コーナーがあり、自分で鍋を作れるコーナーがあるのはいいかも。

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一応、郷土料理のコーナーもあるんだけど、長崎の場合は皿うどんが置かれている。夕食会場が空いていたので、ゆっくりと食べたいものを食べる。そして、伊東園ホテルズも湯快リゾートも大江戸温泉物語も同じことなんだけど、建物は古いんだけど、温泉だけは間違いなく本物なので、ゆったりと温泉を楽しむ。

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2024年9月20日 (金)

長崎雲仙・佐賀周遊旅行2日目(6)小浜温泉で足湯を楽しむ。

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レンタカーを借りて、長崎駅に近いレンタカー営業所から今日の目的地である雲仙を目指す。運転しながら画面を見ずにシャッターを適当に押しているので、ちょっと斜めになっている。東長崎から国道251号線を走る。

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正面に雲仙が見える。このあたりの段々畑のような土地改良はなんだろう。

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この赤土は、作物ができる土なのかなぁ?何が栽培されるんだろう?

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国道251号は海沿いを走るようになってきた。

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小浜温泉の温泉街が見える。ちょっとだけ寄ってみようかな。

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今回のレンタカーは日産ノートのeパワーではないガソリン車。運転しやすいクルマで、なかなかいい。

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温泉旅館が並んでいる。雲仙は宿泊施設が少なくて、検索をかけると出てくる小浜温泉の宿も今回の旅行の宿泊先として検討していた。

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白い湯気が出ていて、温泉街らしい。

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ようこそ、日本一の足湯「ほっとふっと105」と書かれているけど、105はなんだろう。105人も足湯に入浴できるということ?

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座れるようになっており、もうここから先は足湯。

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オバマ温泉は、キャラクターがオバマ元大統領。

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ちょっとだけ足湯で温まることにする。泉質は塩化物泉。

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小浜温泉、お湯の量がすごいし、源泉の温度は105度なので熱湯。そうか、「ほっとふっと105」は源泉の温度が105度ということかぁ。

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105度という熱量を生かして、無料の蒸し釜がある。使用中の札がかけられているので、楽しんでいる人がいる。

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手ぶらで来てしまった人向けに、売店で野菜などが売っているのかなぁ?

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野菜などは扱っていないみたい。けっこう大きな温泉街みたいだからスーパーマーケットを探せば買えるんだろう。たまご5個だと、一人旅だと食べきれないので困ってしまう。蒸し釜に入れておけば、食べられるようになるというのはおもしろい。

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海沿いに出て海を眺める。この辺りは外海の東シナ海に面している。

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自分で調理しなくても、ちゃんと蒸し釜料理を出してくれる、その名も「蒸し釜や」という食堂がある。

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仕組みは無料の蒸し釜と変わらないけど、食材を選ぶことができる。魚介類もあるし、セットされたものもあるみたいだから、気軽に楽しむのなら、やっぱり食堂かも。

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お店の外に釜があって、ものすごい蒸気。飲食店も多いし、賑わいもあるし、小浜温泉に宿泊でもよかったかもしれないなぁ。再び、日産ノートで雲仙温泉を目指す。

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今日の目的地である雲仙温泉に近づいてくると道路が湯気で覆われている。

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後続車がいないので一時停止。道路のすぐ脇に温泉が沸いているのか、蒸気で覆われている。

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無事に今日の温泉ホテルに到着。今日の運転はこれで終了。

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今日のホテルは、西日本の伊東園ホテルズとも言える、湯快リゾート雲仙東洋館。雲仙温泉は宿数が少なくて直前の手配だったのに空きがあった、リーズナブルな「湯快リゾート」に初めて宿泊してみることにする。湯快リゾートは西日本の伊東園ホテルズにイメージだったんだけど、2023年6月に大江戸温泉物語との経営統合が発表されている。まぁ、どちらも経営が立ち行かなくなった温泉ホテルを買収する戦略だから融和性はあるだろうけど。雲仙東洋館の建物の感じは、伊東園ホテルズのホテルにもありがちなんだけど、儲かっていた時代に増改築を繰り返して構造が複雑になっていそうな感じ。

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初めての湯快リゾートのホテルに宿泊する。もう入口からレトロな外装だけど、私はかつては賑わっていたであろう古い旅館に泊まるのが好きで、関東で伊東園ホテルズにはけっこう泊まっているので、ちょっと楽しみ。

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2024年9月17日 (火)

長崎雲仙・佐賀周遊旅行2日目(5)ちゃんぽん発祥の店「四海樓」でちゃんぽんを食べる。

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「色づく世界の明日から」というアニメを私は知らないんだけど、ここが聖地なのかな。

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グラバー園を出て、グラバー通りの坂を下りていく。

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今日は午後からレンタカーを借りる予定にしていて、長崎市内で最後のお昼ごはんは、ちゃんぽん発祥と言われている「四海樓」でちゃんぽんを食べることにする。四海樓は、5階建ての立派なビル。5階のレストランは予約なし。

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エレベータで5階に上がり、予約なしなので席が空くのを待つ。

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長崎港や稲佐山がよく見える展望レストラン。

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ようやく席に案内される。午後からレンタカーを借りるので、もうビールは飲めない。

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もちろん「ちゃんぽん」を注文。

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四海樓のちゃんぽん、スープが美味しい。さすがに、思案橋ラーメンのニンニク入り「爆弾ちゃんぽん」よりはインパクトはないけど。

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レンタカーを借りるために長崎駅に向かう。大浦天主堂が一番近い電停なんだけど、電車が来ないので終点の石橋まで歩いてしまう。

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石橋が終点なので車止めがある。

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単線なので乗車用ホームと後車用ホームがある。

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蛍茶屋行きの電車が到着。長崎駅には直通しないので、途中で乗り換えが必要。

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石橋電停から乗る人は少ないけど、次の大浦天主堂電停からはけっこう人が乗ってくる。着席するためにも石橋電停から乗ったのは正解かも。

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新地中華街駅で下りて、反対側のホームに向かう。長崎駅方面は逆方向に進むのが不思議。

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赤泊行きの電車に乗る。

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長崎駅前電停に到着。

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2022年1月、新幹線開業前の長崎駅前はまだまだ工事中。今までの長崎駅はすでになく、在来線も高架駅に移転している。

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駅ビルのアミュプラザに入るんだけど、長崎駅との連絡通路が工事中なのか、私がみつけられないだけのか長崎駅に行くことができない。

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今回は、3泊4日の旅だけど、LCCの重量制限の関係で荷物は7キロで収めなければならないので、おみやげもの屋さんをこれ以上は見てはいけない旅。

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桃カステラってなんだろう?私はまだ知らないものを見つけると興味を持ってしまう。

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桃カステラを売っているお店が複数ある。名物なのかなぁ?

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桃カステラが気になってしまうけど、買ってしまえば荷物になるし、その場で食べるには大きいし、ここで買うのは我慢することにする。

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レンタカー会社に連絡すると出島メッセ側の出口に行くように言われる。けっきょく、アミュプラザから駅への行き方がわからず、外に出て長崎駅に入る。すでに在来線も新しい駅に入っている。

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何もない出島メッセ側でレンタカーの送迎車を待つ。

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送迎車に乗って、バジェットレンタカーの営業所へ向かう。長崎駅工事の関係だと思うけど、この時のバジェットレンタカーの営業所は駅から離れた場所にある。この時期特有の風景は、まだまだ新型コロナウイルス感染症の予防対策のためにビニールシートで運転席と隔てられている。

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2024年9月13日 (金)

長崎雲仙・佐賀周遊旅行2日目(4)長崎観光定番のグラバー園から長崎港を眺める。

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大浦天主堂のあとは、そのまま長崎の定番観光コースであるグラバー園へ向かう。

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たぶん20年くらい前にも来ていると思うんだけど何も覚えていない。旅行って、どんどん記憶が薄れていくので、まだ覚えているうちに旅行記に記録しておくようにしている。私の旅行記は誰かに伝えたいという気持ちもあるけど、自分自身の記憶が薄れないうちに記録しておくという意味も強い。だって本当に旅行の記憶って年月が経つと頭の中からどんどん薄れていく。もうひとつの目的は、旅行記としてまとめる時にあまりにも薄っぺらい記事にならないように、自分が訪れた場所をあとからちゃんと調べることになる。実際に自分が訪れた場所がどのような歴史があるのかについて少しでも復習すると旅の記憶が深くなる気がする。そのために、今はアクセス数を稼ぐためには動画の方が流行っているけど、もうオワコンであるブログに自分自身の記録のためにまとめている。タイムパフォーマンス重視の時代に私は飛行機に乗る前から記録を始めるし、観光名所と観光名所の間を伝える私の旅行記のスタイルは、時代遅れであることにはとっくに気がついている。

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丘の上にあるので、最初にエスカレータで最上部に上がって坂を降りながら見学をするという仕組みはとてもいい。

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最上部にあるのは旧三菱第2ドックハウス。名前の通り、1896年に三菱造船所の第2ドック建設時に建てられたもので、外国人乗組員用の宿舎。1972年にグラバー園に移築された。東山手地区の洋館を見てきたけど、この時代の洋館はベランダが特徴なのかと勝手に思っている。

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建物の前には池があり、錦鯉が泳いでいる。グラバー園、派手なアトラクションはないみたいだけど、のんびり洋館を見ながら散策できる。

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家具などがある生活に密着した展示の方が好き。

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第2ドックハウスの2階からは長崎港が見渡せる。対岸に見えるのは稲佐山。晴れていると眺望が素晴らしい。丘の上から見る風景を見るだけのためにグラバー園に来ても価値がある。

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順路通りに建物を巡ることにする。まずは旧ウォーカー住宅。洋館とあって、暖炉の煙突がわかる。でも、屋根の瓦は日本らしい感じ。

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居間は、部屋が四角くなく、窓側に突き出している。窓からは光が入り、明るい部屋。

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反対側にあるのは、旧長崎地方裁判官長官舎。1883年の建築で、当時は官舎にも西欧化の波が来ていたことを感じられる。玄関の屋根は日本っぽい。

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グラバー園は海を感じながら見学できる。長崎造船のドックが見える。

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次はリンガー邸。この建物は1868年(明治元年)にこの地に建てられたもので移築ではない。平屋建てだけど、庭を見渡せるベランダがやっぱり特徴的。

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そして、庭の奥には長崎湾が見える。移築ではないので、ベンチに座って、海を見ながら過ごすのはなかなかいい。

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おそらく、リンガーハットの「リンガー」は、フレデリック・リンガーからとったものだと思われるけど、この住まいにはリンガーハットのお店の建物にあるような鐘楼はない。

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その次は、旧オルト邸で、こちらは1865年(慶応元年)の建築で移築ではないのでこの場所に建てられた。ギリシア建築のような玄関。玄関の前には噴水がある。ベランダは木に覆われている。

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すべての洋館の特徴は、ベランダ。旧オルト邸のベランダも広く、木に覆われているので夏でも涼しそう。

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暖炉の上が鏡になっているけど、どう使われていたのかなぁ。

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どの洋館もベランダのベンチに座って、ぼーっと庭を眺めていたい気分になる。

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一番奥にある建物は1887年に建てられた旧スチイル記念学校。スチイル記念学校は、東山学院なったのちに明治学院に合併となり、建物は長崎公教神学校、東陵中学校、海星学園と変遷していったのは、すでにオランダ坂の「市旧居留地私学歴史資料館」で学んだ通り。

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旧自由亭は、1879年の建物で、西洋料理店「自由亭」として使われていたが、閉店後は検事正官舎として使われた。グラバー園では自由亭喫茶室として、カフェ、レストランとして利用できる。

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オペラ歌手として活躍した三浦環の像がある。ヨーロッパでオペラ「マダム・バラフライ(蝶々夫人)」を演じて名声をつかむ。そして、蝶々夫人の舞台は長崎。

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少し離れたところにある白い像は、オペラ「蝶々夫人」を作曲したジャコモ・プッチーニ像。

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順路に従って坂を下ると平屋建ての大きな洋館が見えてくる。暖炉の煙突が何本か見える。

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1863年に建築された旧グラバー邸。1859年に来日したトーマス・グラバーは、グラバー商会を設立し、日本からは茶葉や生糸の輸出、輸入品では武器の販売を行った。

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グラバーと日本人妻との子である倉場富三郎が第二次世界大戦までここに暮らした。グラバー園、アトラクション的なものはなく、洋館を見て歩くだけなんだけど、ここから見える長崎港の風景も美しく、旧リンガー邸や旧オルト邸、旧グラバー邸などは移築ではないのでこの地に立ち続けていることから、長崎開港からの風景を想像できる気がする。

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2024年9月10日 (火)

長崎雲仙・佐賀周遊旅行2日目(3)長崎でミッション系スクールの歴史を学ぶ。

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空港バスからホテルに行くときに長崎新地中華街までは歩いて行ける距離であることを知っているので、このままホテルの前を通って長崎新地中華街まで歩くことにする。

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長崎新地中華街の楼門を通り、中華街に入る。

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まだ朝なので歩いている人は少ないけど、レストランや商店が並んでいる。

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やっぱり、私にとっての長崎銘菓といえば中華菓子の「よりより」が好き。

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毎年2月にランタンフェスティバルの会場となる湊公園。もちろん、まだまだこの年2022年は、新型コロナウイルス感染症で自粛ムードなので、ランタン装飾のみは行われたものの、イベントは中止となる。

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長崎空港の次のバス停が長崎新地だった理由は、空港バスはこのトンネルを通ってきたからだということがわかる。

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オランダ坂を上がってみることにする。

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この通りには活水女学校や海星高校などが並んでいる。

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洋館に入れそうなので、階段を登る。

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東山手十二番館は「市旧居留地私学歴史資料館」となっているので入ってみることにする。

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池袋の立教学校って長崎と関係があるんだ。創立者であるCMウィリアムズ聖公会主教は長崎にいたことがあって、1873年に東京に移り1874年に立教学校を開設する。

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白金台の明治学院も長崎と関係があるらしい。アメリカ・オランダ改革派教会のヘンリー・スタウト宣教師が開設した私塾からスチールアカデミーを経て東山学院となる。1902年神学部が明治学院神学部と合併、1932年に明治学院第二中学部東山学院となったのちに閉校となる。

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多くの宣教師が長崎を訪れて、学校を開設していることがわかる。長崎を旅して、ミッション系スクールの系譜に興味を持ってしまう。

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東山手十二番館は1868年に建設されたもので、東山手地区では現存する最古の建物。ベンチが置かれた広いベランダがいい感じ。

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東山学院が建っていた場所には現在はマリア会の海星高校がある。東京・九段下の暁星高校の姉妹校となる。

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この場所にはカトリック長崎教区による長崎東陵中学校が建っていたけど、その後に移転し長崎南山中学校・高等学校となる。もはや、東山学院、長崎東陵中学校、海星高校と、この場所の変遷がよくわからない。だけど、この地がミッション系スクールの発展の場であることには間違いなさそう。

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坂の下に見えるのは東山手地区洋風住宅群。分譲住宅のように洋館が立ち並んでいる。

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南側(海側)にバルコニーがあるのがいい感じ。ベランダがあるのが特徴なのかなぁ。

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ここもオランダ坂。オランダ坂を登って、オランダ坂を降りる。どちらがオランダ坂だったんだろう。オランダ坂通り全体のことを示しているのかな?

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観光名所よりも、私はこの銭湯の建物がおもしろいと感じてしまう。

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孔子廟はケチって入場せずに塀の外から眺めるけど、建物の外観すらよく見えない。入場すべきだったかも。

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おみやげもの屋さんが並ぶグラバー坂を登る。どこのお店にもカステラが売られている。

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よくデパートの催事の物産展で見かける角煮まんじゅう。

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そして長崎の観光名所である大浦天主堂。まだキリスト教が禁教である江戸時代の1864年(元治元年)に竣工したカトリック教会。日本二十六聖殉教者堂と命名され、まだキリスト教は禁教であった時代でフランス人の礼拝堂として作られた。1875年に増改築を実施している。

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内部は写真撮影禁止なので、教会内では新型コロナウイルス感染症の終息を神に祈る。1865年にプティジャン神父のもとに信徒が現れ、隠れキリシタンが存在することが明らかになる。大浦天主堂は「長崎と天草地方の潜在キリシタン関連遺産」として世界遺産に登録されている。世界遺産をテーマに巡るのであれば、外海や平戸まで足を伸ばした方がいいと思うけど、今回は大浦天主堂と島原の原城跡のみを訪れる予定。

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2024年9月 6日 (金)

長崎雲仙・佐賀周遊旅行2日目(2)武田鉄矢氏が名誉館長の亀山社中記念館へ。

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坂本龍馬像を見たあとは風頭山展望台から長崎市内を見渡す。稲佐山よりも標高が低いけど、長崎市街、三菱重工長崎造船所、女神大橋が見える。

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ちょうど、稲佐山の反対側からの風景。近くまでクルマで来ることができないので、ここからの夜景を見るのは厳しそう。夜間に暗い墓場の中の道を上がりたくはないし。

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長崎は坂の街。丘陵地の斜面に住宅が建っているのがよくわかる。

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せっかくだから、坂本龍馬つながりで、亀山社中を見学することにする。

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手作りの行き先表示に従って、今度は坂を下っていく。

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けっこう親切で、こまめに案内がある。

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龍馬通りに入るけど、長崎らしく階段の坂道。

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クルマも入って来られない階段の道に、住宅が立ち並んでいる。生活するには大変そう。

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龍馬通りの手作りの案内が吊るされている。

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亀山社中記念館に到着。もちろん復元されたもので、2009年から公開されている。

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坂本龍馬が肘をついている写真と同じポーズで記念写真を撮ることができる。

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レプリカだけどブーツや着物が展示されている。

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ピストルに刀に絵。

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でも一番気になったことは、名誉館長・武田鉄矢氏。「海援隊」の武田鉄矢氏が坂本龍馬を好きなことは知っていたけど、名誉館長で資料の寄贈までしているとは。

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坂本龍馬記念館のような展示物になっているし、見学するお客さんも坂本龍馬を期待してここに来ているんだろう。

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記念館の前の展望台には「龍馬のぶーつ」がある。

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長崎市内を一望できる。市街地が近いので景色がいい。

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本当に長崎は坂の町で、車の行き来はできない住宅街。住み続けるのは大変だろう。

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寺町通りまで下りる。この道を進めば、思案橋に戻ることができる。

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萬順製菓の「元祖よりより」が気になってしまう。中華菓子なんだけど、私は長崎みやげとして「よりより」が好き。

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気になったらすぐに買ってみる。だって、あとで買おうと思っても同じものが見つからないことがある。今回は、帰路のピーチで荷物が7キロという重量制限があるからおみやげはコントロールしなくちゃいけないのに。

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思案橋まで戻ってくる。中華街を通ってグラバー邸方面に向かいたいので、市電には乗らずに歩いて行こうかな。

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福砂屋本店が開いているので入ってみることにする。

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お店の中はこじんまりしている。

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カステラの切れ端で作った「フクサヤ ビスコチョ」が気になって買ってしまう。2022年1月のこの時は福砂屋本店限定だった。この調子で買いまくると、帰りにピーチの重量制限が重量オーバーになってしまうかもしれない。まぁ、国内旅行だったら、超過料金を払うくらいなら、宅急便で荷物を自宅まで送ればいいだけの話だけど。LCCで重量オーバーでチェックに引っかかる人を見るたびに、国内だったら宅急便で空港に来る前に送っちゃえばいいのになぁといつも思う。

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2024年9月 3日 (火)

長崎雲仙・佐賀周遊旅行2日目(1)幣振坂(へいふりざか)を上って風頭公園の坂本龍馬像へ。

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2022年1月10日、成人の日の月曜日。長崎、ホテルマリンワールドで迎える朝。窓から長崎市街の風景を眺める。

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エレベータに乗って朝食会場へと向かう。

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2022年1月は、まだレストランの前には体温測定器が置かれており、消毒、ビニール手袋着用が推奨されている。この時期は、消毒したらきれいな手なんだから、ビニール手袋は要らないんじゃないかなんて考えてはいけない。

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それなりに客室数があるので朝食会場はけっこう広い。

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朝食はビュッフェ式。

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手作り感を感じるのは、料理ではなくおそらく飛沫防止のために作られたビニール。

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でもチェーン系ホテルと比較して、料理に手作り感があるのがいい。

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特別なものはないけど、けっこう品数がある。

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ホテルの朝食としては十分。

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晴れてきそうな雰囲気。稲佐山がよく見える。今日はお昼までは長崎観光。午後からは雲仙を目指す。

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ホテルマリンワールドをチェックアウト。このホテル、思案橋にも中華街にも行けるし、飲食店の並ぶ繁華街には近いので便利な立地。高台にあるので窓から市街が見られるのもいい。

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朝は通る人がいないスナック街を通り、思案橋方面へ。

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まだ福砂屋本店はオープンしていない。

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最近はガイドブックすら読まずにほぼ予習していないんだけど、まだ知らない風頭公園に行ってみることにする。今回の長崎行きは、本当は石垣島のはずで、急遽変更した旅行なので2021年12月の高知旅行とはまったくリンクしていないんだけど、年をまたいで、坂本龍馬の軌跡を辿ることになってしまっている。大きなお寺が並ぶ通りを進む。

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幣振坂(へいふりざか)に向かう路地に入る。

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この先は風頭公園まで階段を上がっていく。真冬だからいいけど、夏だったら汗だくになりそう。

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坂の途中で楠本瀧、楠本イネ、二宮敬作の「顕彰碑」を見つける。

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シーボルトって、遊女の楠本タキと結ばれて、シーボルトとタキの間にイネという子供がいたことを知る。シーボルトには日本人妻がいて、さらに子供がいたんだ。そんなことは教科書には載っていないので、歴史って現地に来てみないとわからないから、旅行はおもしろい。

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だいぶ坂を上がってきたけど、まだ途中。

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さらに風頭公園に向かって坂道を上がる。

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阿蘭陀通詞加福家墓地。オランダ語の通訳士を代々勤めていた家があることを知る。

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ようやく坂を上がり、展望台までは平坦な道。

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そこには長崎の街を見つめる坂本龍馬像。

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2021年12月23日に高知桂浜で坂本龍馬に会ってから、3週間も経たないうちに長崎で坂本龍馬に再会できるとは。本当は石垣島に行く予定だったので、これも何かの縁。長崎港を見て腕組みをしている龍馬像、桂浜の龍馬像よりも小さいけど、存在感がある。

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司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の一節が書かれた石碑がある。石碑には「長崎はわしの希望じゃ」、「やがては日本回天の足場になる」と言ったと書かれている。坂本龍馬の功績については私にはよくわからないんだけど、この世を変えるという思いを持って行動した人であることは事実なんだろう。そして、坂本龍馬の閉塞的な世の中を変えるという思いが今も通じているからこそ、人気があるに違いない。

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