2年8ヶ月ぶりの海外旅行復活は韓国ソウル旅行3日目(2)世界遺産の昌徳宮を見る。
昌徳宮“창덕궁”の正門である敦化門の左側にビジターセンターが立っており、そこでチケットを買う。かつてはガイドツアーじゃないと見学できなかったんだけど、最近では(と言ってもだいぶ前)自由見学できる。
正門である敦化門は1412年に建てられたが、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で焼失し、1607年に再建されたもの。
内部に入ってもすぐに宮殿は見えない。昌徳宮は景福宮の離宮として1405年に建てられた。その後、景福宮が焼失したために李氏朝鮮の王宮として使われるようになった。
ガイドツアーが行われていた頃は、最初のスポットとして錦川橋の説明を受ける。この石橋はソウルに残っている最古の石橋であり、創建当時の姿を残している。
1999年に復元された、中門である進善門“진선문”を通過すると、左側に仁政門が見えてくる。
正殿である仁政殿の入口である仁政門は1405年に建てられるが、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で焼失し1608年に再建。1744年にも焼失し翌年に再建。そして1803年の宣政殿の火災により焼失し、1804年に再建された。
昌徳宮の正殿である仁政殿も仁政門と同様に1803年の宣政殿の火災により焼失し、1804年に再建された。
仁政殿の前には品階石“품계석”が並んでいる。官職の階級は18等級あり、品階石は右側が文官、左側が武官となっており、階級によって立ち位置が決められている。
仁政殿の玉座。電灯がつけられているので、近世になってもここが使用されていたことがわかる。玉座の背後には、国王と王妃が太陽と月、東西南北と中央の五岳を意味する「日月五岳図」が置かれている。
宣政殿は、国王が臣下と話し合いをしたり、執務をした場所。門から屋根がある通路でつながっている。この屋根つきの通路はかつて国王と王妃の位牌を安置する「魂殿」だった名残だという。
国王の生活スペースである熙政堂は、日本占領時代の1920年に景福宮の康寧殿を移築したもので、時代背景から車よせのようなものもあり、近世に使われていたことがわかる気がする。
ガイドツアーだと、宣政殿の屋根が見えるこの場所で必ず解説がある。
今では大統領執務室は龍山にある国防省の庁舎に移転しているけど、かつての大統領執務室である「青瓦台」は、この宣政殿の独特の青瓦を意味している。この青色も私の好きな色。
昌徳宮の韓国スポットとして、最後に楽善斎を訪れることにする。この楽善斎は1847年に国王である憲宗が側室のために建てたもの。
この場所は日本にも縁がある場所で、日本の皇室から大韓帝国最後の皇太子である李垠(イ・ウン)“이은”に嫁入りした李方子(まさこ)“이방자”が1989年に亡くなるまで生活していた場所。ちなみに赤坂プリンスホテルクラシックハウスは、赤坂にあった李王家邸を戦後に西武鉄道に売却したもの。
宮殿というよりも両班屋敷のように中庭を取り巻くように部屋が配置されている。楽善斎の方が、当時の生活が感じられる気がして私は好きかも。
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