関門トンネルを歩いて渡る下関・小倉旅 2日目(3)明治維新のムーブメントを生んだ長州・萩の松陰神社へ。
秋吉台からレンタカーを走らせ、萩へ向かう。明治維新の発端となるパワーを生んだ町はどのような町なのだろう。いつかここに来たいと思っていた。橋を渡り、阿武川下流の萩三角州に入る。萩城のある指月山が見える。三角州の中に小高い山があるなんて、城を作るには絶好の場所かも。
松下村塾には松陰神社が建ち、もちろん名称の通り、御祭神は吉田松陰。
萩藩には明倫館という立派な藩校があるわけで、松下村塾はあくまで私塾だからこんなものなんだろう。
ちょうど講義室では、レクチャーが行われている。このように、幕末にも明治維新の力となる人材が吉田松陰を囲んで学んだのかなぁ。
松下村塾よりも大きな民家が残されている。杉家旧宅であり「吉田松陰幽囚ノ旧宅」と呼ばれている。吉田松陰は自分自身の目で海外を見たいと1854年に伊豆の下田でアメリカ軍艦に乗って海外密航を企てるが失敗し、伝馬町獄から萩の野山獄に投獄され、実家である杉家に幽閉となる。
松陰神社の隣に立つのは松門神社。御祭神は、吉田松陰門下生の52柱と松陰の遺書「留魂録」を後世に伝えた沼崎吉五郎を合祀し53柱が祀られている。
小さなお土産もの屋さんがあり、夏みかんの皮を砂糖で煮詰めたお菓子などが売られている。
再びレンタカーを走らせて指月山のふもとにある萩城へ。途中の街並みもいい感じだったけど、レンタカーだと素通りになってしまう。
指月山が見える。石垣があり、道路が右側に曲がっているので、ここに門があったのだろう。石垣の手前側の駐車場は、かつてはお堀か空堀があったのかもしれない。
かつてここには南門があり、この曲がり方はお城を守るための仕組み。
お堀の幅は広く、本丸には石垣が築かれている。左奥に見えるのが天守台だけど、防御の意味と、遠くから見えるシンボルとしては背後にある指月山の山頂に築いた方が良さそうだけど。
天守台からお堀を見る。天守閣の大きさがわからないけど、天守台からはどの程度、城下を見渡せたのかなぁ。
戦国時代であれば指月山の山頂に天守閣が築かれそうだけど、萩城は関ヶ原の戦いのあとに周防・長門の2国に減封となった毛利輝元によって1604年に築城されたので、指月山の麓に天守閣を立てたのかなぁ。
指月山山頂には「詰丸」と呼ばれる砦があり、矢倉が並び要塞化されていた。遊歩道になっており、指月山の山頂まで行けるみたいだけど、けっこうな高さの山なので今回は行かないことにする。
本丸には、志都岐山(しづきやま)神社がある。指月公園の中にあり、入場料を支払わないと入れないためか、神社としての賑わいはなく、ひっそりとした雰囲気。
藩校である明倫館から移築された万歳橋は、通行止めになっている。
志都岐山神社には、主宰神として毛利元就、隆元、輝元、敬親、元徳を5柱、および歴代の萩藩主が祀られている。
毛利毛の家紋である、一文字三星。かつて戦国大名として中国地方を領地とした毛利氏。そして、幕末にはこの地から明治維新につながるムーブメントが始まる。ひっそりとした雰囲気だからこそ、この地のパワーを感じられる。
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