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2014年8月17日 (日)

弾丸ドゥブロヴニク大作戦2日目(1) スルジ山で平和を考える。

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2014年7月24日木曜日。ドゥブロヴニクで迎える初めての朝。カーテンを開けると、今日は晴天。

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「ホテルペトゥカ」“Hotel Petka”の朝食レストランへ。朝食はビュッフェ形式。

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昨日からなんとなく気がついていたけれど、ホテルペトゥカは、日本人個人旅行客の定宿になっているようで、日本人のグループが3組くらいいる。さすがは世界的な観光地だけあって、フランスの地方を旅しているよりも日本人に遭遇する。

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ホットビュッフェもあるので、ヨーロッパの朝食としてはよいほうかな?

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ヨーグルトも置いてあるし。

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部屋に戻ると、フェリーターミナルにフェリーが着岸している。私が自由に休みを取れるんだったら、夏しか運行していないフェリーで南イタリアのバーリに渡り、アルベロベッロやマテーラも周遊するプランも立てられるんだけどなぁ。

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今日はホテルで「ドゥブロヴニク・カード」1日券を150クーナで購入して、1日かけてしっかりと観光するつもり。といっても、もちろんどこに行くかは決めていない。バス停で旧市街行きのバスを待つ。

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バスは旧市街に到着。すでに昨日見ている風景だけど、太陽の光がある風景だと違って見える。

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ピレ門から旧市街に入る。

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朝9時前からプラツァ通りにはすでに団体旅行客がいる。

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ピレ門を入って、すぐ右手にあるオノフリオの大噴水は1438年につくられたもの。

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昨日も思ったことだけど、どうしてこんなに海から近いのに、淡水の冷たい水が湧いているんだろう。

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昨日は路地裏探検をしなかったので、今日は路地裏に入ってみることにする。プラツァ通りから坂を上がってみる。

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途中で横に伸びる路地がある。ドゥブロヴニクの旧市街、町全体は大きな町ではないけれど、路地裏探検が楽しい町かも。

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洗濯物や植木などをみると旧市街にも人が住んでいることがわかる。

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旅をしていて、「人が住んでいる」という雰囲気を感じるのが好き。ここに住んでいる人はどのようなものを食べて、どのように生活しているんだろう。だから、人が住んでいる雰囲気の建物や、生活に密着している市場を見るのが好き。

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プジャ門に続く階段を上がる。ドゥブロヴニクの旧市街は城壁で囲まれており、ピレ門とプジャ門、そしてプロチェ門の3ヶ所しか出入りができない。

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坂の高台にあるプジャ門から城壁外に出る。

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スルジ山に上るロープウェイの山麓駅を目指す。

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ロープウェイ山麓駅に到着。9時から運行開始で、まだ改札は始まっておらず、私の前には1人が並んでいるのみ。

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運行開始前から並んでいたので、ロープウェイの麓側のベストポジションをキープ。いよいよ、ロープウェイが動き出す。

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だんだんとロープウェイが上ってくるにつれて、ドゥブロヴニク旧市街の全景が見えてくる。

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ドゥブロヴニクの旧市街は、ずいぶんと堅牢な城壁に守られていることがわかる。今回の「弾丸ドゥブロヴニク大作戦」は、この風景を見たくて実行したようなもの。

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山頂駅に到着。山頂駅にある展望台からドゥブロヴニク旧市街を眺める。城壁に囲まれた町、オレンジ色の屋根。美しい風景。この風景が見たかった。

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山頂駅の裏手に出て、山側の風景を眺める。

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今回、スルジ山に上ったのは、立ち寄ってみたいところがあったから。ロープウェイ駅の裏手を少し歩くと石造りの砦がある。

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建物の中の「独立戦争展示館」に入ってみる。この博物館は今回の旅行で必ず立ち寄ろうと思っていた場所。なぜなら、ドゥブロヴニクはユーゴスラビア崩壊に伴うクロアチアとセルビア・モンテネグロとの戦争で砲撃を受けて、ドゥブロヴニクの旧市街は「危機にさらされている世界遺産」とされたことがある。そのことを学ばずに、ただ美しい町並みだけを感じるのでは、本当にこの町を知ったことにならないような気がする。

入口の写真は1991年のプラツァ通り。今では観光客で賑わうドゥブロヴニク旧市街のプラツァ通りが砲撃を受けている。ただ、展望台で美しいドゥブロヴニクの町を見るだけではなく、私たちは「1991年」のドゥブロヴニクでなにがあったのかを知らなければならないだろう。

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1991年というと、日本ではすでに「平成」の世。そんなに昔の話ではない。私が中学生くらいのことは、ユーゴスラビアという国は「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」で成り立っていると勉強したはずだけど、そのユーゴスラビアもベルリンの壁崩壊を発端とする東欧革命の影響を受けて、崩壊する。そして、1991年からクロアチア独立に伴う紛争に発展し、旧ユーゴスラビアの中心だったセルビア・モンテネグロとの戦争になる。

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この戦争は1991年に発生した、最近の出来事である。戦争で破壊されたロープウェイが再開されたのなんて、たった4年前の2010年。今でこそ平和な国の日本では「戦争」ということがはるか昔のことであり、戦争の悲惨さを忘れている人たちもいるけれど、悲惨な歴史は知っておかなければならない。もしも、ドゥブロヴニクを訪れた際には、現在の美しい町並みの過去には戦争の悲惨な歴史があることを知っておくべきだと思う。

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写真を見ると、昨日、食事をした旧港のレストランの近くでも、攻撃により炎上している様子がわかる。右下のプラツァ通りの写真を見ても、現在ののんびりした風景からは想像もできない。日本にいると当たり前に平和であるから、空気のように当たり前に平和であるから、平和の尊さを私たちは気がつかなくなっているのかもしれない。

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戦争の悲惨さ、平和の尊さを感じながら、少し重たい気分になり博物館の階段を上がる。

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